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■閑話C・その他…暇つぶしに読んでください・・・

○「紫苑(しおん)
 「紫苑」という花を知っていますか。名前は知らなくとも、この花は身近にたくさん咲いていて、必ず目にしている花で、写真を見ると分かるでしょう。キク科の多年草で、シベリア・モンゴルなどアジア北東部の草原や、日本に広く分布しています。この時期よく見かけますが、ノギクに似た淡紫色の優美な頭状花を多数つけ、。洋花のような華やかさがあり、また、秋の訪れを感じさせます。
もうすぐ10月です。花言葉は「追想」。

20100930

○「招き猫
 9月29日は、「くる(9)ふ(2)く(9)」(来る福)の語呂合わせから、日本招き猫倶楽部と愛知県瀬戸観光協会が記念日に制定した、「招き猫の日」です。この日を中心に、伊勢の「おかげ横丁」の『福招き猫祭』をはじめ、日本各地で記念行事などが開催されます。ネコの手が、右手上げならば「金運招来」、左上げならば「千客万来」といわれています。皆さんどなたにも「福が来る」ことを祈念します。

20100929

○「彼岸花
 田んぼの畦に「彼岸花」が咲いています。秋のお彼岸は26日までです。
 さて、種田山頭火が書き集めた句集「草木塔」の中の一句に、「歩きつづける 彼岸花咲きつづける」とあって、あぜ道に咲く彼岸花を見ると、この句を思い出します。
 山頭火は、出家をし、旅をさすらい、その旅の途中で折しも秋の頃、歩き続ける道の両側が、一面彼岸花で彩られている様を詠んだ句です。「歩き続ける」で一度区切り、更にその先に彼岸花が咲き続いている様を思い浮かべ読むと心が静まるでしょう 

●踏みわける 萩よ すすきよ         ●この旅、果もない旅のつくつくぼうし  
●へうへうとして 水を味ふ           ●おちかかる月を観てゐるに 一人  
●ひとりで蚊にくはれてゐる          ●投げだして まだ陽のある脚
●山の奥から繭負うて来た           ●笠にとんぼをとまらせて あるく  
●歩きつづける 彼岸花咲きつづける
20100923

○「秋分の日
 9月23日は、「国民の祝日」の一つで、昼夜の長さがほぼ等しい日です。これから日が一番短い冬至に向けて、毎日1分5秒づつ日が短くなり、そしてまた毎日1分5秒ずつ日が長くなって、昼夜の長さがほぼ等しい春分になります。
 ちなみにこの日は、「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」とされています。
 また一年が正確には「365.2421904日」であるために、秋分の日はその年によって変化します。
 今後の秋分の日の予定は、2011年 9/23(金) 2012年 9/22(土)  2013年 9/23(月) 2014年 9/23(火)  2015年 9/23(水) 2016年 9/22(木)  2017年 9/23(土)です。

20100920

○「仲秋の名月
9月22日は、十五夜(旧暦8月15日)、「仲秋の名月」が眺められるといいですね。ところで、「仲秋」の「仲」とは「季節の中ごろの1ヶ月」というニュアンスで、「中」は「真ん中」というニュアンスすから、「仲秋」は「秋(旧暦7・8・9月)の半ばの1ヶ月、すなわち8月」をさし、「中秋」は「秋の真ん中で、特に8月の真ん中15日」をさすという感じです。「名月」といえば、「満月(望)」なので、話しの意味合いからは、「中秋の名月」のほうが秋のお月見には近い感じのようですが、一般的には仲秋の名月のようですね。一般的には、「仲秋の名月」 と表わしますが、どちらが正しくどちらかが間違っているといった類の話ではないようです。

20100919

○「十五夜
 22日は「十五夜」です。古代中国には月を鑑賞する習慣があり、それが日本に伝わったとされます。日本では、旧暦の8月15日に月を鑑賞するようになり、「十五夜」と呼ばれるようになりました。また、旧暦の9月13日には「十三夜」があり、地方によっては、「二十三夜」まであるようです。そして「十五夜」は秋に穀物の取入れ後、その新穀を神仏にお供えして感謝をしました。団子を供えるのは、新穀を粉にして丸くまるめてお供えしたという説と、里芋に見立てて丸い団子をお供えしたという説とあるようですが、収穫の感謝を月に供える「感謝の心」はこれからも大切にしていきたいものです。

20100918

○「彼岸
 20日から「秋の彼岸」に入ります。お彼岸は、春分・秋分を中日とする7日間で、中日(23日)を除く6日間は「六波羅蜜」という6つの行を1つづつ実践する日とされました。行を修めて、身を清めることで、彼岸の境地に近づこうとするものです。お彼岸は此岸(悩み・苦しみの岸)にいる自分が彼岸(悟りの岸)の境地へ近づこうというものです。(お盆は、反対に彼岸から此岸に精霊が訪れます) ちなみに、春分と秋分は太陽が真西に沈むことから、もっとも彼岸に近づける日とされます。

20100918

○「ススキでバイオ燃料!?
 ススキの穂が秋を実感させます。ところで、北海道の大学で、ススキを育ててバイオエタノール燃料の材料にしようとしてる研究の話を聞いて興味を持ちました。川沿いに生えてるススキは、ほったらかしでも育ち、他の植物侵入を防ぐ力もあることが知られています。そして、北海道の原野などにおける存在量(バイオマス)が大きいので、バイオエタノール燃料として実用にこぎ着ければ好いなと願います。ススキは、トウモロコシやキビ(ソルガム、サトウキビ)などと並んで、土地の栄養を強烈に吸い取り、楽に作れて・肥料もそれほどいらない・他の雑草に強く、これまで動物用の餌にならないか? ペレットストーブの燃料は?とした研究もされているようです。しかし、ススキに含まれるセルロースを、効率的に低コストでアルコールにする方法が必要ですが、デンプン・砂糖以外から効率的にアルコールを作る方法はまだ開発途上で、とても実用のレベルではないとのことです。子どもたちの時代には、化石燃料に頼らない新しいエネルギーが必要になります。今後の研究に大いに期待します。

20100917

○「ススキのふくろう
 秋の七草のひとつ「ススキ」でつくった、「フクロウ」や「ミミズク」をよく見かけます。自分にも作れそうなので、作り方を調べてみました。是非、ご家庭で制作にトライしてみて下さい。
作り方→「すすきでつくる!フワフワみみずく」
http://www.pref.iwate.jp/~hp0910/classroom/mimizuku.html
20100916

○「老人の日
 9月15日は、「老人の日」で、一週間「老人週間」となります。
 そして9月20日は「敬老の日」。
 国民の祝日に関する法律(祝日法)では「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを「敬老の日」の趣旨としていますが、この「敬老の日」は以前「老人の日」で、それ以前は「としよりの日」だったそうです。この「としよりの日」を最初に制定し、独自に「祝日」と定めて「敬老会」を開いたのが、兵庫県の山間の農村・野間谷村(現・多可町)の若き村長(当時35才)でした。戦後、戦争で人心が荒廃し親を親とも思わない風潮が蔓延しているなどの理由から思い付き始まったそうです。「老人の日」並びに「敬老週間」、「敬老の日」は、祝日法の趣旨に沿って「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」日々に務めたいものです。

20100915

○「新米
 本日、檀徒農家の方より「新米」を頂きました。「なすひかり」という品種で、有名な「コシヒカリ」に先立ち収穫したそうです。新米ですので、特に感謝して頂きたいと思います。これから刈入れの時期を迎え、農家は忙しくなることでしょう。今年は気温が高く、稲が大きく育ったので、倒れ易いとのことでしたが、確かに収穫前に田んぼで倒れている光景を見ます。台風の襲来の多い時期ですので、せっかく実った稲の刈入れが順調にいくことを祈ります。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

20100913

○「稲刈り
 あちこちで稲刈りの作業を見かけます。黄金色に実った田んぼを見ると、不思議と豊かな気持ちになります。お米の国の国民だからでしょうか。美味しそうな新米がたくさん収穫でき、幸せな気分です。週末になり、あちこちの田んぼで稲刈りが忙しくなるでしょう。子どもたちにも、お米の収穫風景を見せ、収穫までの苦労や、刈入れの大変さが美味しいお米になることも味わってもらいたいものです。

20100911

○「赤とんぼ
 残暑が厳しく、なかなか「赤とんぼ」の姿が見られず心配していましたが、家の周りを飛ぶ赤とんぼをようやく見つけました。赤とんぼを見ると、秋の訪れを感じます。
 さて、「赤とんぼ」の歌詞で『負われてみたのは,いつの日か』とあります。「夕焼けの中を飛んでいる赤とんぼ。そんな赤とんぼを、姐におんぶされ(背中に背負われて)ながら見たのはいつの日だったかな〜(もう遠い昔になってしまったな〜)」という意味ですが、自分も亡き祖母に背負われて赤とんぼを見た記憶があり、赤とんぼを見ると祖母を思い出します。
20100905

○「9月
 9月は、英語でSeptember。これはラテン語で「第7の」という意味の「septem」の語に由来しているのに9月としている理由を、高校生の時、7月と8月にローマ皇帝の名が入ったせいで、2か月ずれたと教わったが、それは俗説であることをその後知り、高校の先生の知識に不信感を持ちました。
 正しくは、紀元前153年に、それまで3月を年の始めとしていたのを1月を年の始めとすると改め、2カ月ずれたにもかかわらず、名称を変えなかった為で、7月もカエサルによって「Julius」に改める以前は「Quintilis」(ラテン語で「第5の」という意味の「quintus」の語に由来)だったことからもわかります。ちなみに、10月のOctoberも、ラテン語において8を意味する「octo」の語に由来しているのに10月です。さて、9月は、日本では長月(ながつき)と呼びますが、長月の由来は、「夜長月(よながつき)」の略です。涼しくなった秋の夜長、大切に充実して過ごしましょう。
20100902

○「甘酒
 江戸時代です、江戸の夏は蒸し暑くて大変だったそうです。今みたいにクーラーはないし。寒さは火をたけばしのげました。この夏の暑さをしのいだのが、1杯の甘酒だったそうです。
 一杯4文。(当時の江戸のお酒が一合18文で、甘酒は4分の1)、体の弱い人のために幕府が保護していたそうです。夏、冷やした甘酒はおいしいです。
 甘酒にはブドウ糖が20〜23%含まれています。(米のデンプンが麹菌の糖化酵素の作用を受けてブドウ糖になる) 
 米のタンパク質も麹菌の酵素によって、必須アミノ酸になり豊富に含まれています。
 さらにビタミンが多く、ビタミンB1,B2,B6,パントテン酸、ビオチン、などの生理作用に重要で不可欠のビタミン群がたっぷり。これが全て天然型だからすごい。販売されているビタミンは合成ビタミンで、薬品で安定させているので吸収が良くないのです。(食品の発酵では世界の第一人者といわれる、東京農大教授、小泉武夫先生は「発酵食品の中で、甘酒が一番すごい」と言っています。)
 江戸時代、甘酒は「必須アミノ酸強化飲料」であり、「総合ビタミンドリンク剤」でした。そして、アスペラチンというガン細胞を抑制する物質があります。髪や肌がとってもキレイになります。育毛効果あり。血圧を下げる効果ありとたくさんの作用があります。甘酒を飲んで、酷暑を乗り切りましょう。
20100901

○「ひょうたん
 ひかり幼稚園入口の花壇に、立派な瓢箪(ひょうたん)が生り、驚いています。意識的に栽培したのではありませんが、いつしか育って、花が咲き、大きな実をつけました。
 さて、「有り得ないことが実現する例え」や、「冗談で言ったことが実際に起こってしまう例え」で、「瓢箪から駒が出る」といいますが、この駒とは馬のことで、意味は、「瓢箪から馬が飛び出す」意ですが、私はずっと駒(馬)ではなく、玩具の独楽(コマ)だと思っていました。意味も「不意に物事が起こり、吃驚すること」と思っていました。私と同じように思っていた方もいるのでは無いでしょうか(!?) この度、幼稚園の花壇に瓢箪が生って、少し調べてみて、少し賢く成れました。
 (参考に)、中国、唐代の道士に張果(ちょうか)という人物がいて、(張果老ともいい)恒州中条山に隠居し、尭(ぎょう)の時世に生まれたと称し、白驢(はくろ=白い驢馬)に乗って一日に数万里を行き、休息する時は白驢を畳んで腰の瓢(ひさご)に納め、乗る時はその水を噴くと、忽ち白驢が現れたという伝えがあり、これが「瓢箪から駒」の出典のようです。)

20100830

○「すみません
 「すみません」は、人にあやまる時や、依頼する時、また感謝してお礼を言う時に使います。でも、この言葉の語源は「澄まない」だそうです。「心が澄みきらない」とか「心がすっきりしない」という意味です。
 狂言の言い回しで「それでは、お上にすみそもない」とあり、「すみそ」は心がすまないことで、その「すみそ」を丁寧に言ったのが「すみません」だそうです。物をいただいたときなどに、感謝の意味をもって「すみません」と使う用例は昭和になってからのようです。
 「すみません」には、謙虚なイメージがありますが、もっとも軽い挨拶なので、素直に「ありがとうございます」と、はっきり言った方が相手に感謝の気持ちが伝わるでしょうね。

20100828

○「処暑
 立秋を15日過ぎて、今日、8月23日は「処暑(しょしょ)」。「処」は「とどまる」という意味ですから、「処暑」とは「暑さ」がとどまり、まだ暑いけど、朝方涼しい風に秋の気配を感じる頃のことをいいます。「暑気止息する意」です。このころは日本は台風来襲の特異日で、暴風や大雨にみまわれることが少なくないようですから、天候には要注意です。

20100823

○「終戦記念日
 1945(昭和20)年のこの日、日本のポツダム宣言受諾により、太平洋戦争(第二次世界大戦)が終了しました。 内務省の発表によれば、戦死者約212万人、空襲による死者約24万人でした。毎年この日に政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館で開かれます。戦火で尊い命を落とされた人々を追悼し、平和に暮らせる日々に感謝します。
20100815

○「お盆
 13日からは「お盆」に入ります。お盆は、正式には「盂蘭盆(うらぼん)」といいますが、省略形として「盆」(一般に「お盆」)と呼ばれます。お盆(盆)とは文字どおり、本来は霊に対する「供物を置く容器」のことです。この供物の容器を意味するため、供物を供え祀られる精霊の呼称となり、盂蘭盆と混同されて習合していきました。盆の明確な起源は分かっていませんが、1年に2度、初春と初秋の満月の日に祖先の霊が子孫のもとを訪れて交流する行事がありました(1年が前半年と後半年の2年になっていた名残との説がある)。
 初春のものが祖霊の年神として正月となり、初秋のものが盂蘭盆と習合して、仏教の行事として行なわれるようになったといわれています。日本では8世紀ごろには、夏に祖先供養を行うという風習が確立されたと考えられています。
 お盆中には幼児にも、お墓参りや仏壇に手を合わせ、先祖供養を体験として伝えて行きたいものです。

20100813

○「虎の巻
 さて、唐突ですが、「虎の巻」とは、教科書の解説本や講義のネタ本、秘伝の書などをいいます。学生時代には、「アンチョコ」(安直)と思っていました。お手軽で役に立つ解説本や翻訳本の意味で用いていました。
 この語源は何かと、唐突に知り合いに尋ねられて調べてみました。すると、その礙語源は由緒ある中国の兵法書からきていて・・・・、文・武・竜・虎・豹・犬の六巻60編からなる「六韜(リクトウ)」という兵法書があり、虎の巻は戦略、用兵の秘伝の内容が書かれていたのです。授業中に先生に当てられても答えられる戦略をたてるための秘伝の書、それが「虎の巻」なのでした。なるほどでした・・・。そこで、六韜を少し読んでみると、こんな言葉に出会いました。
 「天下は一人の天下にあらず、天下の天下なり。天下の利を同じくするものは天下を得、天下の利をほしいままにするものは天下を失う」です。簡潔に言えば、「上に立つものは個人的な考えではなく、できるだけ集団全体としての益を考えて行動しなければならない」という戒めでした。日本の政治も、しっかり一人ひとりの国民生活を考えて行動して欲しいものです。
20100811

○「スイカ
 この時期の食べ物と言えば、「スイカ」です。スイカの果実は大部分が水(水分91%)で、糖質を8%含み、暑い夏空のもとで賞味するにふさわしい果菜です。スイカは、可食部100グラム中に、たんぱく質30.1グラム、脂質46.4グラム、カルシウム70ミリグラム、リン620ミリグラム、鉄5.3ミリグラム、カロチン16マイクログラム、そのほかビタミンB1・B2、ナイアシンなどを含む栄養価の高い食品です。また、シトルリンというアミノ酸を含み、利尿効果が高く、腎臓(じんぞう)炎に効くといわれ、果汁を煮つめて飴(あめ)状にしたスイカ糖は薬用にされます。タネも炒(い)って塩味をつけ、種皮をむいて胚(はい)は食べられます。スイカを食べて、暑い夏を乗り切りましょう

20100809

○「立秋
 「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」と、藤原敏行は「立秋」を詠みました。
 「立秋」は、「初めて秋の気配が表われてくるころ」とされ、『暦便覧』では「初めて秋の気立つがゆゑなれば也」と説明しています。秋になるといってもまだまだ暑い盛りで、気象的にはなお夏ですが、日もしだいに短くなり、朝夕の風に秋を感じます。また、夏至と秋分の中間に当たり、昼夜の長短を基準に季節を区分する場合、この日から「立冬」の前日までが秋となる。暦の上ではこの日が暑さの頂点となります。翌日からの暑さを「残暑」といい、手紙や文書等の時候の挨拶などで用いられ、「暑中見舞い」ではなく「残暑見舞い」となります。

220807

○「ハムの日
 8月6日は、「ハ(8)ム(6)」の語呂合わせから、日本ハム・ソーセージ工業協同組合が制定した「ハム」の記念日です。しかし、「広島原爆記念日(原爆忌)」でもあるため、イベントや大きな行事などは開催されません。
 1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、米軍のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」が、広島市上空で世界初の原子爆弾「リトルボーイ」を投下し、熱戦と衝撃波によって市街は壊滅し、約14万人の死者を出しました。その後、原爆症等で亡くなった人を含めると、犠牲者は25万人以上にのぼります。尊い命を亡くされた方、被爆の後遺症で未だ苦しむ方、心を痛めた関係各位に追悼とお悔やみを申し上げます。

220806

○「箸の日
 8月4日は、「は(8)し(4)」と箸を語呂合わせした「箸の日」です。正しい箸の持ち方から食文化の見直しまで含め、箸を考えようという民俗学研究家の提唱により、わりばし組合が1975(昭和50)年、記念日に制定しました。
 日本人の食事には、お箸は欠かせません。お箸は、1日に3度、365日お世話になりますが、私たちの生活に欠かせない箸に感謝する催しや、古くなった箸のお焚き上げが、今日8月4日にあちらこちらで行われます。あらためて、正しい箸の持ち方や扱い方、マナーを見直し、お世話になっている道具に感謝する心を確認したいものです。
220804

○「8月
 今日から8月です。8月は、グレゴリオ暦の8番目の月ですが、英語名をAugust、ローマ皇帝Augustus(アウグストゥス)に由来します。
 アウグストゥスは紀元前1世紀に、誤って運用されていたユリウス暦の運用を修正するとともに8月の名称を自分の名に変更しました。同時にそれまで30日であった8月の日数を31日に変更した。足りない日は2月の日数から減らしたので、2月の日数が28日となってしまいました・・・。
 日本では、8月を葉月(はづき)と呼びますが、葉月の由来は諸説あり、木の葉が紅葉して落ちる月「葉落ち月」「葉月」であるという説が有力です。他には、稲の穂が張る「穂張り月(ほはりづき)」という説や、雁が初めて来る「初来月(はつきづき)」という説、南方からの台風が多く来る「南風月(はえづき)」という説がります。
 8月の別名には、あきかぜづき(秋風月)、かりきづき(雁来月)、かんげつ(観月)、けんゆうげつ(建酉月)、こぞめつき(木染月)、そうげつ(壮月)、ちくしゅん(竹春)、ちゅうしゅう(仲秋)、つきみつき(月見月)、つばめさりづき(燕去月)、はづき(葉月)、べにそめづき(紅染月)などがありました。
220801

○「しかとする
 TVで「しかとする」という会話を聞いて、この言葉の語源が気になりました。
 「しかとする」は、「他人を無視する」という意味です。調べてみると、諸説あるようですが、
(1)九州の方言に「しかと」(大したことがないこと))という言葉があり、「大したことないからほっておく」の意味でこの言葉が広まり用いられるようなった、という説。
(2)また、花札の「鹿」札の鹿が、そっぽを向いているので、「鹿頭(しかと)する」という言葉になった、という説がありました。
 しかし、相手に「しかとする」のは、友好な人間関係とは思えません。慎みたいものです。
220726

○「土用の丑(うし)の日
26日は「土用の丑(うし)の日」です。
7月20日から、立秋(8月7日)までの間、土用に入ります。
土用(どよう)とは、五行思想に基づく季節の分類の一つで、各季節の終りの約18日間のことです。五行思想では、春に木気、夏に火気、秋に金気、冬に水気を割当てている。残った土気は季節の変わり目に割当てられ、これを「土用」と呼びます。この土用の間は、土の気が盛んになるとして、動土・穴掘り等の土を犯す作業や殺生が忌まれます。ただし、土用に入る前に着工して、土用中も作業を続けることは差し支えないとされています。
さて、夏の土用の時期は暑さが厳しく夏ばてをしやすい時期ですから、昔から「精の付くもの」を食べる習慣があります。土用蜆(しじみ)、土用餅、土用卵などの言葉が今も残っています。また精の付くものとしては「ウナギ」も奈良時代頃から有名だったようで、土用ウナギという風に結びついたのでしょう。今のように土用にウナギを食べる習慣が一般化したきっかけは、幕末の万能学者として有名な平賀源内が、夏場にウナギが売れないので何とかしたいと近所のウナギ屋に相談され、「本日、土用丑の日」と書いた張り紙を張り出したところ、大繁盛したことがきっかけだと言われています。丑の日の「う」からこの日に「うのつくもの」を食べると病気にならないと言う迷信もあり、「ウナギ」がこれに合致した食べものであったからでしょうか。
220725

○「猛暑・酷暑
皆さんは連日の猛暑で、グッタリしていないでしょうか?連日の暑さで、食欲も落ち、ダルさを感じます。
さて、今日23日は、「大暑(たいしょ)」です。「夏至(げし)」から約1か月が過ぎ、8月7日の「立秋」までの期間は、一年中でもっとも気温の高い季節にあたります。
「猛暑(もうしょ)」は普段と比べて猛烈に暑いときのことで、「酷暑(こくしょ)」と類義で、しばしば報道や日常会話で使われます。主に夏の天候について用いますが、晩春や初秋でも使用するようです。
世界気象機関が推奨する定義は「最高気温の平年値を、連続5日間以上、5℃以上上回ること」としているが、各国はそれぞれの気候傾向によって様々な定義で運用していて、日本国内では、2007年4月1日の予報用語の改正以降、一日の最高気温が35℃以上の日のことを「猛暑日」と言います。また、制定前までは、「酷暑日」と言われていました。ただし「酷暑」が気象庁の予報用語として定義されているのに対して、「猛暑」は定義されていないようです。どうか猛暑・酷暑に負けずに、元気に過ごして下さい。

220723

○「中元
今日、7月15日は「中元」です。一年の半分を過ぎ、健康で安泰な生活の無事を祝い、祖先の霊を供養する日です。元々、「中元」とは、正月15日の「上元」、7月15日を「中元」、10月15日の「下元」をあわせて「三元」とする中国の習慣が伝わったもので、日本では「盂蘭盆会」と日が重なったことから、「祖先の霊を供養し、両親に食べ物を送る」ようになりました。そして、この習慣が、目上の人、お世話になった人等に贈り物をする「お中元」に変化しました。

220715

○「海の日
7月20日は、昭和16年以来「海の記念日」として、海運、造船、港湾などの海事産業や船員等これらに従事する人々について国民の皆様に理解を深めすために、全国各地でいろいろな行事が開催されてきました。近年になって国民の祝日「海の日」を設けようとの国民運動が盛り上がり、平成7年2月に国民の祝日に関する法律の一部改正が行われ、平成8年から7月20日が国民の祝日「海の日」として制定されました。そして平成13年6月の国民の祝日に関する一部改正により、平成15年から「海の日」が7月の第3月曜日にあらためられました。昨日が「海の日」でしたが、海水浴など、海のレジャーに出かけたご家庭も多かったことでしょう。

220714

○「食パン
単純な疑問があります。「食パン」は、食べ物なのに、なぜわざわざ「食」がつくのでしょう??
調べてみると5つの説がありました。
1、本食パン説…パン屋さんで売っている四角くて長いパンを、もともと「本食パン」と呼んでいました。第二次世界大戦より前のパン職人は食パンのことを、西洋料理の『もと』となる食べ物という意味で「本食」と呼び、イギリス系の白パン(山型食パン)のことをさしていました。今でも食パンを「本食」と呼ぶ人がいますし、実際に「本食パン」という名前で販売している店もあります。その「本食パン」を略して「食パン」と呼ばれるようになりました。
2、主食パン説…日本で「食パン」と呼ばれているものの元祖は、『ヨコハマベーカリー』という店のイギリス風型焼きパンです。『ヨコハマベーカリー』の経営者はロバート・クラークで、1862年に幕府の援助を得て横浜で店を開きました。1874年には木村安兵衛が「あんパン」、1901年には中村屋が「クリームパン」を開発。食パンそのものは早くから日本に来ているのですが、パンとして人々に広まったのは菓子パンの方でした。その後、イギリスパンとして広まった山型食パンは、おやつ用とは違う「主食用のパン」という意味で「食パン」と呼ばれるようになりました。
3、消しパンと区別する説…パンは食べる以外にも、デッサンなどの消しゴム代わりに使われていました。パンの白い部分を丸めて「ねり消し」のように使っていたようです。消しゴムが発明されるまではパンが最も適した素材だったようで、今でも「消しパン」は使われています。その「消しパン」と区別するため、食用のパンをあえて「食パン」と呼ぶようになったという説です。もともとパンは明確に「食べるもの」なのであえて「食」をつける意味があったのかどうかという点で、ちょっと強引な説かもしれません。
4、酵母説…食パンは酵母を使って作るもので、ふわっと膨らんですきまができます。それらの穴は酵母が食べた後だとも言えるので、酵母に「食べられた」と言う意味で「食パン」と呼ばれるようになったという説です。
5、フライパンと区別する説…フライパンも「パン」と呼ぶ(平鍋の形、という意味で、パンケーキのパンはこの意味)ので、キッチンに存在する2つのパンを区別するため、「フライのパン」「食用のパン」の区別で「食パン」と呼ぶようになったという説です。
20100713

○「トウフの日
7月10日が「納豆の日」なら、今日12日は、「とう(10)ふ(2)」の語呂合わせから、毎月「豆腐(トウフ)の日」だそうです。(ちなみに、10月2日も「豆腐の日」だそうです。)この時期は、晴れれば暑く、食欲も落ちます。夏バテ気味の身体には、あっさりした豆腐が好まれます。さて、「納豆」も「豆腐」も、同じ大豆食品ですが、「納豆」は、納豆菌によって大豆そのままを発酵させたモノ、「豆腐」は、大豆を粉砕して搾って出来た豆乳ににがりを加えて固めたモノですが、納豆と豆腐では、栄養素の内、ミネラル系と繊維質系の構成が大きく異なるようです。基本的な差は製造工程によるもので、「豆腐」はニガリを加えることで、多種のミネラルが増え(ニガリに何を使うかで、栄養素に差がありますが)、また搾ることで、豆乳以外の成分が除去され、食物繊維もなくなってしまいます。「納豆」は「毎日一食のごはんにかけて一膳食べるだけで医者いらず」とも言われますが、「豆腐」は、栄養的には十分とは言えないようです。栄養価も「納豆」は100gあたり200kcal。「豆腐」は栄養価が高い木綿で、100gあたり72gとローカロリー。「納豆」はたんぱく質も「豆腐」の3倍、カルシウムも2倍、ビタミンKに至っては50倍の差があります。

220712

○「納豆の日
7月10日は、「なっ(7)とう(10)」の語呂合わせで、全国的に「納豆の日」とされています。私も納豆が大好きで、毎日食べても飽きません。その納豆には、血液をさらさらにする予防効果があることは、よく知られています。栄養分として、たんぱく質やビタミン、そのほかイソフラボンも含まれています。納豆にある納豆菌は、胃酸にも強く、腸内の善玉菌であるビフィズス菌の増殖を助け、健康にとっても良い効用がある健康食品です。でも、納豆の食べ過ぎはセレン中毒の恐れがあるそうです。ほどほどに食べて健康管理に役立てましょう。

220709

○「七夕
今日は「七夕」、そして二十四節気の「小暑」です。「小暑」は「梅雨明けが近づき、蝉が鳴き始め、暑さが本格的になるころ」です。暦便覧には「大暑来れる前なればなり」と記されているように、小暑の終わりごろに「夏の土用」に入り「大暑」を迎えます。小暑から大暑そして立秋までの間が暑中となり、その間に暑中見舞いを送ります。今日も蒸して茹だる様な暑さでしたが、幼稚園の子どもたちは各々自分の願い事を書いて吊るした七夕飾りを掲げ、その七夕飾りを眺めていました。園内には、梅雨空を吹き払うような勢いのある子どもたちの元気な声が響いていました。

220707

○「いかさま
「いかさま」とは、「ごまかし、まやかし、にせ」という意味ですが、その語源は・・・・武士が世の中を治めていた時代に、「いかにも、あなたの言うとおりだ」という意味で、「如何様(いかさま)、さようでござる」という言いまわしをしていました。権力にあぐらをかいている武士は「任せておけ」という意味でこの言葉を使いながら、結局は騙す(だます)ことも多かったようで、そんな風に人をあざむく言動のことを「いかさま」と言うようになったということです。近頃の政権与党の有様は、正しくこの「いかさま」ではないでしょうか。前回、衆議院選挙のマニフェストはどうなったのでしょう・・・検証もなく、反省もなく参議院選挙に望むのでしょうか・・・。日本の未来が心配です。7月11日は投票日、選挙には、自己の責任と期待を持って一票を投じたいと思います。
220706

○「七夕物語(中国)
夜空に輝く天の川のそばに、天の神さまが住んでいます。天の神さまには一人の娘がいて、名前を、織姫といいます。織姫ははたをおって、神さまたちの着物をつくる仕事をしていました。さて、織姫が年頃になったので、天の神さまは娘にお婿(むこ)さんを迎えてやろうと思いました。そして色々探して見つけたのが、天の川の岸で天のウシを飼っている、彦星という若者です。この彦星は、とてもよく働く立派な若者です。そして織姫も、とてもやさしくて美しい娘です。二人は相手を一目見ただけで、好きになりました。二人はすぐに結婚して、楽しい生活を送るようになりました。でも、仲が良すぎるのも困りもので、二人は仕事を忘れて遊んでばかりいるようになったのです。「織姫さまがはたおりをしないので、みんなの着物が古くてボロボロです。はやく新しい着物をつくるように言ってください」「彦星がウシの世話をしないので、ウシたちが病気になってしまいました」天の神さまに、みんなが文句を言いに来るようになりました。天の神さまは、すっかり怒ってしまい、「二人は天の川の、東と西に別れて暮らすがよい!」と、織姫と彦星を別れ別れにしたのです。「・・・ああ、彦星に会いたい。・・・彦星に会いたい」毎日泣き続ける織姫を見て、天の神さまが言いました。「娘や、そんなに彦星に会いたいのか?」「はい。会いたいです」「それなら、一年に一度だけ、七月七日の夜だけは、彦星と会ってもよいぞ」それから織姫は、一年に一度会える日だけを楽しみにして、毎日一生懸命に機をおるのです。天の川の向こうの彦星も、その日を楽しみに天のウシを飼う仕事にせいを出しました。そして待ちに待った七月七日の夜、織姫は天の川を渡って、彦星のところへ会いに行くのです。しかし雨が降ると天の川の水かさが増えるため、織姫は川を渡る事が出来ません。でも大丈夫、そんな時はどこからともなくカササギと言う鳥が飛んで来て、天の川に橋をかけてくれるのです。おしまい

220706

○「七夕の始まり
(もうじき7月7日の七夕です。この七夕には、いくつかの物語があります。その一つを紹介します。)
むかしむかし、あるところに、ほうろく売りがいました。ほうろくというのは、土でつくったフライパンみたいなものです。ある年の七月、ほうろく売りが山道を通りかかると、娘さんたちが湖で水あびをしていました。ふと見ると、目の前に美しい着物がおいてあります。(ああっ、何てきれいな着物なんだろう)ほうろく売りはその着物がほしくなり、その中の一枚をすばやくカゴに入れて、何くわぬ顔で通りすぎていきました。ところがタ方、仕事を終えたほうろく売りがそこへもどってくると、一人の美しい娘さんがシクシクとないているのです。(ははん。さては、わしに着物をとられた娘だな)ほうろく売りは娘さんに自分の着物を着せて、家につれて帰りました。この娘さん、見れば見るほど美人です。ほうろく売りはこの娘さんが気に入り、自分のお嫁さんにしました。やがて子どもが生まれて、親子三人は、なかよくくらしていました。ある日の事です。ほうろく売りが仕事に出かけた後、お嫁さんが子どもをねかせていて、ふと天井を見てみると、何やらあぶら紙(→防水を目的とする、物を保存するための和紙)につつんだものがあります。(あら、何のつつみかしら?)お嫁さんがつつみを開いてみると、中にはぬすまれた着物が入っていました。
「あっ!これはわたしの着物!きっと、あの人がぬすんだにちがいない。ゆるさない!」
 お嫁さんはその着物をすばやく着ると、子どもをかかえて空へのぼろうとしました。
 そこへ、ほうろく売りがもどってきたのです。
 一目で全てをさとったほうろく売りは、お嫁さんに手をついてあやまりました。
「ま、待ってくれ!わたしが悪かった。だから待ってくれ!」
「いいえ!わたしは天の国へもどります!あなたに着物をとられて、しかたなくお嫁さんになりましたが、わたしはもともと天女(てんにょ)です」
「すまない!あやまる!いままでに何度も返そうと思ったが、お前がどこかへ行ってしまうのではないかと心配で、返すに返せなかったんだ」
「いいわけは聞きません。さようなら」
「たのむ!なんでもする。どんなつぐないでもする。だから、わたしをおいていかないでくれ!」
 必死にあやまる男の姿に、心をうたれたお嫁さんは、
「・・・では、もし本当にわたしが大切なら、本当にわたしに会いたいのなら、わらじを千足つくって、天にのぼってきなさい。そうすれば親子三人、今までどおり暮らす事ができるでしょう」
と言うと、お嫁さんは子どもとともに、天高くのぼっていってしまいました。
 ほうろく売りはお嫁さんに会いたくて、さっそくわらじをつくりはじめました。毎日、朝から晩までごはんも食べずに、わらじをつくりました。何日もかかって、やっと、九百九十九足のわらじができました。(よし、あと一足だ。あと一足で、あいつと子どもに会えるんだ)そう思うと、ほうろく売りはがまんできなくなり、一足たりないまま外へとびだし、天に向かって、
「おうい、はやくむかえにきてくれー!」と、さけびました。
すると、天から雲がおりてきました。ほうろく売りはその雲にのり、上へ上へとのぼっていきました。ところがわらじが一足たりないため、あと少しの所で天の国へ着くというのに、それっきり雲が動かなくなりました。
「あっ、あなた、本当にきてくれたのね」
 天女は、いっしょうけんめい手をふっているほうろく売りを見つけると、はたおりの棒を下へのばしました。ほうろく売りはその棒につかまり、何とか雲の上に出ることが出来ました。
 天女の家にはおじいさんとおばあさんがいて、赤ちゃんのおもりをしています。
「この人が、この子のお父さんです」
天女はほうろく売りを、二人の前につれていきました。でも、二人はこわい顔でほうろく売りをにらみました。何とかして、ほうろく売りを追いかえそうと考えていたのです。そこでほうろく売りにザルをわたして、それで水をくんでくるように言いました。穴のたくさん開いたザルでは、水をくんでくることができません。ほうろく売りがこまっていると、お嫁さんはザルにあぶら紙をしいてくれました。ほうろく売りはそれに水をくんで、二人のところへ持っていきました。
「うむ、人間にしてはなかなかちえがある。ほうびに、このウリをやろう。よこに切って食べろ」
そう言って、おじいさんはほうろく売りに大きなウリをくれました。天の国では、ウリをたてに切って食べます。もし横に切ったら、水がどんどん出て、止まらなくなるのです。そんな事とは知らないほうろく売りが、ウリを横に切ったからたいへんです。切り口から水がふきだして止まらなくなり、ほうろく売りは天の川に流されて、だんだん遠くなっていきます。それを見て、お嫁さんがさけびました。
「あなたーっ、父母を説得して、月に一度、水の流れを止めてもらいます。毎月の七日に会いに来てください」
ところがほうろく売りは、水の流れの音のために聞きちがえて、
「よし、わかった。毎年の七月七日だな」
と、言って、そのまま流されていきました。だから二人は、年に一回、七月七日にしか会えなくなったという事です。

おしまい
220705
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○「推敲(すいこう)
推敲(すいこう)とは、文章を何度も練り直すことですが、この言葉には故事があります。
昔、中国の唐の時代に賈島(かとう)という僧がいました。賈島は詩を作るのがとても上手でしたが、どういう文字を使うのがよいかいつも苦労していた人物(苦吟=くぎん)として有名でした。あるとき、賈島は当時の官吏(かんり)になるための国家試験で超難関だったという科挙(かきょ)の試験を受けるために、はるばる長安の都へやってきて、ロバに乗って街を散策しながら詩を作っていました。そして、「鳥は宿る池中の樹僧は推す(おす)月下の門」という一句を作り上げたのですが、「僧が門を推す」という表現よりも「僧が門を敲く(たたく)」という表現の方が良いかもしれないと迷いだして、賈島は手綱をとるのも忘れ門を押す動作や叩くまねをしながら進んでいました。あまりにも夢中になっていたので、行列がやってきたのにも気づかず、そのまま行列に突っ込んでしまいました。ついていないことにそれは都の長官の行列でしたから、賈島はすぐに捕らえられ、処罰されることは間違いありません。そのまま捕らえられ、長官の前に連れて行かれたのです。ところが幸いなことに、その時の長官は文筆家としても有名だった韓愈(かんゆ)でした。韓愈はなぜ無礼な事態になったのか賈島から事情を詳しく聞きました。そして話を聞き終わると、作品に興味を持った韓愈は「それならば、推よりも敲の字のほうが月下に音を響かせる風情があって良いよいだろう。」と言いました。無礼を許されただけでなく、二人はそのまま打ち解けて、馬を並べたまま詩を論じながら進んだのです。こうして、天下一の長官として有名だった韓愈と単なる一詩人である賈島が交友を深めるようになったのです。
のち、賈島は韓愈の門人(=弟子)となり、詩人として独立しました。(典故は『唐詩紀事』巻40)このことから「文章を書いた後、字句を良くするために何回も読んで練り直すこと」を「推敲」といいいます。
言葉に歴史あり、歴史を知ることで言葉の意義や正しい用い方を学びます。
220703

○「後の祭り
現在京都では、「祇園祭」がにぎやかに開催されています。
さて、「後の祭り」という言葉があります。「ちょうど良い時機を逃してから失敗に気づいて、手遅れになってしまった」、の意ですが、この言葉で使われている「祭」は、京都八坂神社の「祇園祭」のことだそうです。毎年、7月におこなわれ、山鉾と呼ばれる十数台の山車が祇園ばやしとともに京の町を練り歩く荘厳な大祭です。最終日は[還車の行事]=[あとの祭り]と言われ、山鉾も出ない静かな一日です。
祭の山場が過ぎたあとに、祭り見物に行っても意味のないことから、「手遅れ」の意味で使われるようになりました。
また、祭りが終わった後の山車は役に立たないことから「後の祭り」と言うようになったとする説もあります。

220702

○「ゴキブリ
ゴキブリを好きな人は少ないでしょう。むしろ、嫌いな人が圧倒的に多いことでしょう。台所を初め、住宅のあらゆる部分に棲む油色の平たい虫で、足下をスルスルっと走り抜ける姿は、ゾクッとします。ところで、「ゴキブリ」が日本語であることを知っているでしょうか。ゴキブリの「ゴキ」とは、「御器(ごき)」つまり椀・器のことで、「ブリ」は「かぶりつく」の「かぶり」(齧[カジ]りの変化)です。御器(ごき)、お椀の残飯にかぶりついたり、器そのものをかじったりすることから「御器噛り(ごきかぶり)」というようになり、それが変化して「ゴキブリ」となったとのこととでした。名前の由来も、ゾクッとします。

220701

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