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○「正月飾り
 年の瀬を迎え、正月のお飾りをしている家々を見かけます。鏡餅・しめ縄・門松、これが正月飾りの定番アイテムです。我家でも、本日「正月飾り」を施したいと思います。鏡餅(かがみもち)の用意も整っているので、本日お供えしたいと思います。さて、鏡餅という名称は、昔の鏡の形(三種の神器の一つ、八咫鏡)を形取ったものですが、鏡餅が現在のような形で供えられるようになったのは、家に床の間が作られるようになった室町時代以降のことのようです。武家では、床の間に具足(甲冑)を飾り、その前に鏡餅を供えた。鏡餅には、譲葉・熨斗鮑・海老・昆布・橙などを載せるのが通例となり、これは具足餅(武家餅)と呼ばれた。今日では、三方に半紙を敷き、その上に裏白(羊歯の一種)を載せ、大小2つの餅を重ね、その上に串柿・干しするめ・橙・昆布などを飾るようになっています。近年は、家庭内に飾ることの利便性と、後で食べる際の衛生面を考えて、鏡餅が重なった姿を型取ったプラスチックの容器に充填した餅や、同様の容器に(個別包装された)小さな餅を多数入れ、プラスチック製の橙などとセットにした商品が多く出回っていますが、それはそれで便利で効率的です。

○「除夜の鐘
 12月31日、大晦日の夜を「1年の日ごよみを除く夜」と言う事で「除夜」と言います。1年の最後の夜を締めくくり、暮れゆく年を惜しむ意味で昔からいろいろな行事が行われてきました。その中に新しい年を迎えるにあたり「除夜の鐘」が108回あちらこちらのお寺でつかれます。
 では除夜の鐘を108回つくのはなぜでしょうか(?) 
 108という数が人の煩悩の数だというのは有名ですが、その108という数の由来については諸説があります。まず、108の煩悩は人間の感覚を司る眼(げん)耳(に)鼻(に)舌(ぜつ)身(しん)意(い)の六根が、それぞれに好(気持ちがよい)悪(いやだ)平(何も感じない)不同の3種があり3×6=18の煩悩となり、これが、また浄(きれい)染(きたない)の2種に分かれ18×2=36の煩悩となり、さらに、現在・過去・未来の3つの時間が関わって、36×3=108となります。これが、108の煩悩だといわれています。そのほかには1年の12ヶ月+24節気+72候を合わせて108とし、108という数は煩悩ではないとするものなど色々とあります。
 一方、鐘を鳴らすことは中国の宋の時代に起こったものでその打ち方は『勅修清規』に「慢(よわく)十八声、緊(はやく)十八声、三緊三慢共一百八声」と記されています。「除夜の鐘」を聞きながら1年を振り返り、良い年をお迎え下さい。

○「大晦日
 大晦日には、一年の締めくくりとして年越しそばを食べます。年越しそばは江戸中期からの習慣で、金箔職人が飛び散った金箔を練ったそば粉の固まりに引付けて集めていたため、年越しそばを残すと翌年は金運に恵まれないといいます。ですから、この日のそばは、来る年の金運がかかっているというわけです。 また、金は鉄のように錆びたりせず、永遠に不変の物であることから、長寿への願いも込められているのです。
 日本では、正月とならんで重要視される日ですが、世界では大晦日を特別としない国が多く、特にキリスト教文化の欧米ではクリスマスに埋もれてしまい、新年へのカウントダウンを開始する程度のものです。 ただ、そんな中でもオーストリアは少し特殊で、大晦日のシルベステルと呼ばれる儀式では、無事に 1 年が終わったことを祝うパーティが一晩中開かれて、新年の鐘の音とともに花火が打ち上げられます。 ほかにも、小さな鉛の塊をろうそくの炎などにかざして溶かして、冷水に落としてできた鉛の形で新たな一年を占なったり、マジパンで作ったブタやチョコレートのコインなどの縁起物を交換しあいます。 マジパンとは中世以来の伝統菓子で、アーモンドの粉と砂糖をあわせて固めたもので、アーモンドもブタも、古くからヨーロッパでは大切な食糧で、アーモンドを使ったお菓子は、他のヨーロッパの国々でも祝い菓子よく使われます。

○「福もち
 29日で「フク」の日です。そこで、毎年私のお寺では、縁起の良いこの29日にお餅つきをします。檀家の役員と婦人会の皆さんで、正月用の鏡餅や豆餅を作ります。場所によっては、「苦(9)がつくので縁起が悪い」ので、29日の餅つきは「苦餅(くもち)」、「苦しみを持つ」という人もいますが、別に「苦(9)を突く」ので縁起が良いとも・・・人はそれぞれです。四国は「死国(しこく)」ではないし、九州は「苦しみの州」でもありません。29日は「福(ふく)」と呼んで、正月用の鏡餅をつきたいと思います。

○「笠地蔵
 むかしむかし、あるところに、貧乏(びんぼう)だけど心優しい、おじいさんとおばあさんがいました。
 ある年の大晦日(おおみそか)のことです。 おじいさんとおばあさんは、二人でかさを作りました。
 それを町へ持って行って売り、お正月のおもちを買うつもりです。
「かさは五つもあるから、もちぐらい買えるだろう」
「おねがいしますね。それから、今夜は雪になりますから、気をつけて下さいよ」
 おじいさんは、五つのかさを持って出かけました。 家を出てまもなく、雪が降ってきました。
 雪はだんだん激しくなったので、おじいさんはせっせと道を急ぎました。 村はずれまで来ると、お地蔵さまが六つならんで立っています。
 お地蔵さまの頭にも肩にも、雪が積もっています。 これを見たおじいさんは、そのまま通り過ぎることが出来ませんでした。
「お地蔵さま。雪が降って寒かろうな。せめて、このかさをかぶってくだされ」
 おじいさんはお地蔵さまに、売るつもりのかさをかぶせてやりました。 でも、お地蔵さまは六つなのに、かさは五つしかありません。
 そこでおじいさんは、自分のかさを脱いで、最後のお地蔵さまにかぶせてやりました。 家へ帰ると、おばあさんがビックリして言いました。
「まあまあ、ずいぶん早かったですねぇ。それに、おじいさんのかさはどうしました?」
 おじいさんは、お地蔵さまのことを話してやりました。
「まあまあ、それはよいことをしましたねえ。おもちなんてなくてもいいですよ」
 おばあさんは、ニコニコして言いました。
 その夜、夜中だと言うのに、ふしぎな歌が聞こえてきました。
♪じいさんの家はどこだ。
♪かさのお礼を、届けに来たぞ。
♪じいさんの家はどこだ。
♪かさのお礼を、届けに来たぞ。
 歌声はどんどん近づいて、とうとうおじいさんの家の前まで来ると、
 ズシーン!
と、何かをおく音がして、そのまま消えてしまいました。
 おじいさんがそっと戸を開けてみると、おじいさんのあげたかさをかぶったお地蔵さまの後ろ姿が見えました。
 そして家の前には、お正月用のおもちやごちそうが、山のようにおいてありました。

  おしまい

○「東京タワー
 50年以上も前ですが、1958(昭和33)年の12月23日に、東京・芝公園に東京タワーが完成し、完工式が行われました。高さ333mでパリのエッフェル塔より13m高く、当時世界一の高さの建造物となりました。現在でも、世界で最も高い自立鉄塔です。
 さて、エッフェル塔は「塔」なのになぜ東京タワーが「タワー」なのでしょうか ・・・?。「塔」は、五重塔などのように、建物のイメージが強いのです。調べてみたら、エッフェル塔が造られた(1887年)19世紀の日本語には、「タワー」という単語はなく、フランス語の tour や英語の tower は「塔」と訳すのが当時の日本語では普通で、同じ明治時代に、夏目漱石の『倫敦塔』という小説では、The Tower of London を「ロンドン塔」と訳して呼んでいます。明治時代の日本語には「タワー」という外来語がまだなかったから、英語の tower を「塔」と訳したようです。名前はいったん付けられると、いつまでも変わりません。日本語では21世紀の今でも、19世紀の名前のまま「エッフェル塔」「ロンドン塔」と呼び続けているのだそうです。
 東京タワーが造られた1958年は戦後まもなくで、日本がアメリカに占領され、アメリカの政治経済属国になり、アメリカ文化に支配され、何でも英語でいうのが流行した時代です。東京タワーを造った人たちも、「タワー」のほうがかっこいいと思って付けたのでしょうか・・(?!)。

(20091223)

○「12月12日
 12月12日は、「1(いい)2(じ)1(いち)2(じ)」=「いい字1字」の語呂合わせで、「漢字の日」とされています。 
 日本漢字能力検定協会が1995(平成7)年に制定しました。昨日11日には今年一年の世相を漢字1字で表す「今年の漢字」に「新」が選ばれ、京都の清水寺・奥の院で森清範貫主(69)が一気に「新」と書き上げて発表されました。政権交代、新内閣、イチローの新記録、新型インフルエンザなど、「新」に関わる事柄が多かったことが主な理由とのこと。 2位は「薬」、3位は「政」でした。皆さんの今年の漢字はなんでしょう?!
(20091210)

○「シクラメン
 先日、パンジーをたくさん頂きましたが、園芸農家では「シクラメン(Cyclamen)」の出荷に大忙しでした。これからお歳暮にクリスマス、年賀にとシクラメンの最盛期を迎えます。シクラメンは、サクラソウ科の観賞用多年草で、地中海東岸が原産。花の咲きそろっている様子が篝火のようなので、和名は「かがりびばな」です。花言葉は、「不老長寿、勇敢」だそうです。我家でも、去年頂いたシクラメンが、今年もたくさん花を咲かせてくれました。自分はラーメン、タンメンなど「メン類」が大好きですので、シクラメン(?!)も大好きです。

(20091203)

○「パンジー
 園芸農家のご厚意で、パンジーをたくさん頂きました。幼稚園の入口の花壇やプランターに植栽したいと思います。寒さに向かい木々は葉を落として淋しそうですが、そんな中で色とりどりの花々は、心に元気や勇気をくれます。この花が、幼稚園の入口で、子供たちや来園者のみなさんの励ましや癒しになればと願います。パンジーの花言葉は「もの想い・純愛・こころの平和・私を想って」幼稚園にぴったりの意味だと思いませんか・・・

(20091202)

○「大根湯
 幼稚園の農園には、収穫を待つたくさんの大根が育っていますが、その大根の葉を上手に利用できないかと調べてみました。すると、「大根湯(だいこんゆ)」を知ることが出来ました。大根には飲んでよし、お風呂に入れてよしのすぐれた効果あります。
 大根の辛味成分である「アリル化合物」には炎症を鎮め、せきを止めるほか、殺菌の働きもあるといわれていて、そのため風邪をひいた時は、大根とショウガのすりおろしたものをお湯に溶かして飲んだり、大根の角切りをハチミツや水飴に漬けておいて、溶け出したエキスを飲むと効果があるといわれています。
 また大根すりおろした風呂も、昔から農村地帯で冷え性や婦人病治療のための民間療法として使われてきました。
 そして大根の葉ですが、干した大根の葉には、温泉成分にみられる塩化物や硫化イオンなどの無機成分が多く、皮膚のたんぱく質と結合して膜をつくり、保温効果を高める働きがあります。
 冬の代表的な根菜・大根を、食べたり、飲んだり、入浴したりと、大いに活用して厳しい寒さをのりきりましょう!
(20091201)

○「明星(みょうじょう)
  「明けの星 仰ぐ心は人の世の 光となりて 天地(あめつち)にみつ
 12月8日は、お釈迦さまが真理をさとられた「成道の日」です。「明星」は、お釈迦さまがさとりをひらかれる機縁となった明けの明星をさします。
 お釈迦さまは、人のもつ様々な苦しみを取り除く道を求め、29歳で出家されました。そして6年間、あらゆる苦行を続けましたが、苦しみの修行でも、怠惰な生き方でもその道を解き明かすことが出来ないと確信され、菩提樹の下で座禅を続けました。ある朝、明けの明星を仰ぎ、その輝きを機縁にさとりをひらかれました。これを「成道」といいます。標榜の詩は「お釈迦さまのおさとりは、その後、世の人々に尊ばれ、世の中を照らす教えの光となって、天地に充ち満ちています。」という意味です。
 お釈迦さまがさとられた内容は、「縁起の法」といい、「この世に存在する現象は、様々な原因や条件によって起こり、このもろもろの現象の生起消滅の法則を縁起」と言います。そして、お釈迦さまは、人々の苦しみの原因を取り除くには、正しい行動を繰り返すことによって解決できると確信されました。
 また、お釈迦さまは「明けの明星の輝く中で、自分も大地も生きとし生けるすべてのものが同時にさとりを開いた」と説かれます。大地の総てのものが「縁起の法」の中に行き、それを自覚して学び、そのあるべき姿で行じていくことを示されました。
 12月8日は、お釈迦さまのさとりをお祝いする「成道会」です。全超寺では、7日に梅花講の皆さんと報恩のお勤めを修し、8日には子どもたちと座禅会を修行します。

(200912)

○「酉(とり)の市」 
 昨日は「酉の市」でした。毎年11月の酉の日に行われる各地の鷲(おおとり)神社(大鳥神社)の祭礼で、古くは「酉のまち」といい、「お酉様」と称して親しまれています。「まち」は祭りの意。鷲(おおとり)神社(大鳥神社)は日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀(まつ)り、開運、商売繁盛の神として信仰されています。初酉を一の酉、次を二の酉、三番目の酉のある年は三の酉といい、三の酉のある年は「火事に気をつけろ」と言われています。
 その訳は・・・、鳥(ニワトリ)が一日中鳴くというのは異常な出来事で、昔から、こう言う「異常な出来事」というのは不吉とされていました。(最近、地震前に動物が異常行動をするという科学的検証もありますね) で、酉の日が通常は2回のはずなのに、3回ある年というのは、鳥が朝鳴き昼鳴いた上に、夜にも鳴いているという解釈になり、不吉な事が起こる、それは火事だ!・・・・と、こういう理屈なるのが「三ノ酉」という説です。別に、こんな説もありました。「酉の市」には旦那さんがイベントにかこつけて遊びに出ます。「まぁ・・・祭りですから仕方ない」という事になるが、カミさんからしたら困るんです。しかも、三回も「酉の市」が有るのでは出費的にも困る。そこで、カミさんたちは言うわけですね・・・「三ノ酉がある年は火事が多いから、夜出歩かないでくれ」と。
「若夫婦 出してやりけり 酉の市」(虚子)

(20091125)

○「」 
 寒くなり、栄養バランスには気をつけていきたいものです。この時期たくさん「柿」が出回っていますが、柿は日本原産の果物といわれ、16世紀頃にポルトガル人によってヨーロッパに渡り、その後アメリカ大陸に広まり、今では、「KAKI」は世界中の人に愛され、学名も「ディオスピロス・カキ(Diospyros Kaki)」、「KAKI」の名で世界中に通用します。 柿には、ビタミンCが沢山含まれていて、レモンやイチゴに決して負けていないのです。ほかにも、ビタミンK、B1、B2、カロチン、タンニン(渋味の原因)、ミネラルなどを多く含んでいるため、「柿が赤くなれば、医者が青くなる」という言葉があるほど、柿の栄養価は高く、「二日酔いには柿」といわれている訳は、ビタミンCとタンニンが血液中のアルコール分を外へ排出してくれるからで、豊富なカリウムの利尿作用のおかげともいわれています。柿を食べて、健康管理をしましょう。

(20091121)

○「小雪」 
 「うまさうな 雪がふうはり ふうはりと」(小林一茶)
 (空の上から、うまそうなぼたん雪が、ふうわりふうわりと降ってくる)
 今日は、二十四節気の「小雪」です。『暦便覧』では、「冷ゆるが故に雨も雪と也てくだるが故也」と説明しているように、降る雨も雪に変わる頃です。那須連峰にも、初雪が降り、頂きが白く雪化粧し、吹く風もいよいよ冷たく、冬将軍がやってきます。まだまだ新型インフルエンザも心配ですし、寒さで体調を崩しがちですが、栄養と休養を心掛け、寒さに負けないで元気に過ごしたいものです。

(20091122)

○「柚子(ゆず)
 昨日、柚子をたくさん頂きました。私は柚子を絞ってその汁を焼酎割で楽しみ、皮はお風呂に浮かべて入浴剤代わりに用いていますが、柚子の種も効用があると教えてもらいました。
 柚子の種を日本酒や焼酎の中に入れておきます、1ヶ月くらいすると、柚子の化粧水になるそうです。柚子の化粧水には美白と保湿の効果があり、簡単に作れて、とても効果があり、女優の篠沢トキさん(頭を大きくアップにして大きなメガネかけてる人)は、柚子化粧水を自分で作って、若い時から使い続けているそうですが、とても色白で肌にナリが出るそうです。
参考までに、(http://www.topworld.ne.jp/ainet21/seikatu-cosmetics.htm)
(20091119)

○「精進努力
 幼稚園では、今月11月の徳目に「精進努力(しょうじんどりょく)」を挙げています。「精進」とは、「一つこと不雑」の物事に精魂を込めてひたすら「進むこと不退」をいい、コツコツと一生懸命努力を積み重ねることです。粘り強くやり遂げ、充実感を味わうことを通し、目標に向かっていことがその意味です。
 毎日の生活の中で、一つ一つの事柄に対し、精魂込めて取り組むこと、日々の暮らしをどのように生きているかが肝要でしょう。 幼稚園では、遊んだあときちんと片づける、始めたら最後までやり遂げようとするなどを理解し、実践させたいと願っています。「仏様は、いつも私たちを見守ってくださっています。うまくいった時もいかなかった時もそれで良いのです。よくがんばったね」。頑張らせるのではなく、子どもたちは自分なりに頑張っているのですからそれを認め励ましていきたいと思います。

(20091116)

○「一茶忌
 11月19日は小林一茶(1763〜1828)の忌日です。
 一茶は信州の貧農の長男として生を受け、3歳の時に母を失い、8歳で継母を迎えるが、馴染めず江戸に出、25歳のとき小林竹阿に師事して俳諧を修業します。29歳の時、故郷に帰り、翌年より36歳の年まで俳諧の修行のため各地を歴遊し、39歳のとき再び帰省。病気の父を看病したが1ヶ月ほど後に死去、以後遺産相続で継母と12年間争います。再び江戸に戻り俳諧の宗匠を務め、50歳で再度故郷に帰り、その2年後52歳になり、28歳の妻きくを娶り、3男1女をもうけますが何れも幼くして亡くなっていて、特に一番上の子供は生後数週間で亡くなりました。きくも37歳の生涯を閉じます。2番目の妻(田中雪)を迎えるも半年で離婚。3番目の妻やをとの間に1女やたをもうける(やたは一茶の死後に産まれ、父親の顔を見ることなく成長し、一茶の血脈を後世に伝え、1873年に46歳で没)。一茶は、不遇の生涯でしたが、それを諧謔の種にし、生涯二万句を作ったと言われます。代表作に「おらが春」「七番日記」。

われと来て 遊べや親の ない雀」  (親のない子すずめよ、私も親のないさびしさは、おまえと同じだ。こっちへ来て、さあいっしょに遊ぼうじゃないか。)
散るすすき寒くなるのが目に見ゆる」  (秋が深まり、日に日に散っていくすすきの穂。それを見ると、日ごとに寒くなってくるのが目に見えるようだ。) 
(つゆ)の世は露の世ながらさりながら」  (この世は露のようにはかないものだと知ってはいても、それでもやはりあきらめきれない。この世がうらめしい。{長女のさとが疱瘡で死んだときに詠んだ句}) 
秋寒(あきさむ)や行く先々は人の家」  (秋も深まり寒くなってきた。しかし、私には住みつく家もなく、行く先々はみな人の家で、寂しさがいっそう増していく)

(20091115)

○「習う
 今日は幼稚園の「祖父母のつどい」でした。たくさんの方にご来園頂き、楽しく開催することが出来ました。その中で「習う」といくことを皆様にお話いたしました。「習う」とは、「羽根に白い」と書きますが、「それは頭の白い羽根の鳥、つまりひな鳥が羽ばたきの練習をすること」が元意です。ひな鳥は何百、何千回も羽ばたく練習をして飛べるようになります。親鳥は、エサを与えたり、外敵から守ったりしながら、ひな鳥の育ちを見守ります。寄り添って見守りますが、飛ぶ練習をするのはひな鳥自身です。幼児の成長も、育っていくのは幼児です。頑張るのは自分です。本人が意欲を持ち、取り組まなければなりません。そのためには、認め励ますことが何より必要です。成長を認められ、子供は自信を深め、意欲を持ち、さらに成長していくでしょう。「頑張らせるのではなく、自ら頑張る心、取り組む意欲を育てていきたいと思います。」

(2009/10/29)

○「「ハロウィン
 「ハロウィン」はキリスト教の聖人の祝日「万聖節」の前夜祭。 古代ヨーロッパの原住民ケルト族の収穫感謝祭がキリスト教に取り入れられ、現在のハロウィンになったとされています。 ケルト族の1年の終わりは10月31日で、この夜は死者の霊が家族を訪ねたり、精霊や魔女が出てくると信じられていました。これらから身を守る為に仮面をかぶり、魔除けのたき火をたきました。 これに因み、31日の夜、かぼちゃをくりぬいて作ったジャック・オー・ランタン(お化けカボチャ)にろうそくを立て、魔女やお化けに仮装した子供達が「Trick or Treat」(「だまされたいの?、それとも守られたいの?」お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ)と唱えて近くの家を1軒ずつ訪ねます。 家庭では、カボチャの菓子を作り、子供達はもらったお菓子を持ち寄り、ハロウィン・パーティーを開いたりします。
(2009/10/27)

○「日本茶の日
 お茶は一番ポピュラーな飲み物です。その お茶を日本に広めた人は栄西禅師だそうです。1191(建久2)年、宋(中国)からお茶の種子とその製法を持ち帰りました。栄西禅師は、お茶の種子を自分の庭に蒔き育て、またお茶の製法を伝えました。当時お茶は薬として飲まれていたようです。「茶は養生の仙薬なり・・・」(喫茶養生紀)と著しています。栄西禅師がお茶を持ち帰った日が、10月31日だと言われています。お茶には殺菌作用もあるので、インフルエンザ対策にも効果があるようです。

○「稲刈り
 稲刈りもだいたい終わった様です。刈り取られた後の田んぼは、秋風の中、朝夕の冷え込みで風邪をひきそうに感じます。稲刈りの終わった田んぼで、稲わらを燃やしている様子を見かけます。夕方を過ぎても火が赤々と燃えている様は美しいのですが、少しさみしくも感じます。以前には、稲わらを燃やすことなどありえなかった時代がありました。稲わらは、わらじ、みの、縄、衣料や住居の材料として重宝し、無駄にしないで利用していました。しかし、昨今は稲わら製品の需要も無くなり、また、戦後冬の農家が都会に出稼ぎをするようになり、稲わら細工を作っている暇も無くなりました。同時に、工夫する心や最期まで大切に扱う心が薄らいだように感じます。便利で手軽な物も良いのですが、手をかけ、工夫して作った物には何とも言えない味わいがあります。
(20091020)

○「世界食糧デー
 10月16日は、「世界食糧デー」(World Food Day)です。これは1945年10月16日に国連食糧農業機関 (FAO - Food and Agriculture Organization)が設立されたことを記念し、1981(昭和56)年に制定しました。第二次世界対戦中の1943年、アメリカ・バージニア州のホットスプリングに世界44ヶ国の政府の代表が集まり、飢餓を防止するための食糧生産と農業開発のことについて話し合い、翌1945年にFAOを設立するに至ります。「世界食糧デー」(World Food Day)は、国際デーの一つで、発展途上国の人々が食糧不足で苦しまないためにはどうすればいいか考える日です。 
 現在世界の人口の3分の1は飢餓寸前の状態にあるといわれ、近いところでは北朝鮮で大量の餓死者が出ています。これに対して多くの団体が食糧を支援することによって、これに対処しようとしていますが、外から食糧を運び込むことは、目の前の餓死者を救済する力はあっても所詮は応急措置に過ぎません。 長期的対策としては、やはり農地を整備し、その国の食糧生産を技術的経済的に確立させていき、食糧を安定生産できるようにすることが大事でしょう。この難しい仕事をしているのがFAOです。FAOはまた食品添加物・遺伝子組替野菜などで揺れる食糧の安全性の問題についても討議しています。
 改めて、食の大切さやありがたさを考え、また広く世界の飢餓についても考えたいものです。
(20091014)

○「アリとキリギリス
 夏のある日、キリギリスが野原で歌を歌っていると、アリたちがぞろぞろ歩いてきました。
「おい、アリくんたち。そんなに汗をびっしょりかいて、なにをしてるんだい」
「これはキリギリスさん、わたしたちは食べ物を運んでいるのですよ」
「ふーん。だけど、ここには食べ物がいっぱいあるじゃないか。どうして、いちいち家に食べ物をはこぶんだい。おれみたいにおなかがすいたらその辺にある食べ物を食べて、あとは楽しく歌を歌ったり、あそんだりしていればいいじゃないか」
「でもね。キリギリスさん。いまは夏だから食べ物がたくさんあるけど、冬が来たら、ここも食べ物はなくなってしまいますよ。いまのうちにたくさんの食べ物をあつめておかないと、あとでこまりますよ」
 アリたちがそういうと、キリギリスはバカにしたようにハハハハハハッと笑って。
「まだ夏が始まったばかり。冬のことは冬が来てから考えればいいのさ」
 そう答えると、また歌を歌い始めました。
 さて、それからも毎日キリギリスは陽気に歌ってくらし、アリたちはせっせと家に食べ物を運びました。
 やがて夏がおわり、秋が来ました。 キリギリスは、ますます陽気に歌を歌っています。
 そしてとうとう、さむいさむい冬がやってきました。 野原の草はすっかり枯れ果て、キリギリスの食べ物は1つもなくなってしまいました。
「ああ、おなかがすいたな。こまったな。どこかに食べ物はないかなあ。・・・あっ、そうだ。アリくんたちが食べ物をたくさんあつめていたっけ、よし、アリくんたちに何か食べさせてもらおう」
 キリギリスは急いでアリの家にやってきましたが、アリは家の中から。
「だから、食べ物がたくさんある夏のあいだに食べ物をあつめておきなさいといったでしょう。家にはかぞく分の食べ物しかないから、悪いけど、キリギリスさんにはあげることができません」
と、いって、げんかんをあけてくれませんでした。 キリギリスは雪の降る野原のまん中で、寒さにふるえながらしょんぼりしていました。
 いま楽をしているなまけ者は、そのうち痛い目にあうというお話しです。
※この「アリとキリギリス」は、もとの寓話である「セミとアリ」から変化したお話しです。
 「アリとキリギリス」以外にも、「セミとアリ」から変化したお話しは多くて、「アリとコガネムシ」や「アリとコオロギ」、「トンボとキリギリス」などがあります。
 セミが他の昆虫に変化した理由は、お話しの伝わった国に、その昆虫がいなかったり、お話しを伝えた人が、勝手に昆虫を変えたりしたからです。
(20091014)

○「徳目
 今月、幼稚園の徳目(とくもく)は、「同事・協力」です。幼稚園HP(www.hikari-k.e.d.jp)の表紙に掲載してありますが、運動会を行うこの時期特に子供たちの心に落としていきたい「徳目」です。一人ひとりの育ちの中で、個々の身体や知能が育っていきますが、心の育ちも大切です。自分の存在が、周りのお友達や家族、地域の人たちとあることを考える社会性をも学んで欲しいと思います。運動会の競技も、お友達と力や息を合わせるものがたくさんあります。
 「ひとりでできないことも ふたりならできる ふたりでできないことも 大勢ならできる  みんなで助け合うことによって 思いもかけない大きな仕事が  できることをわからせよう」。
 友だちとの協力を学ぶ中で、心を合わせて活動したり、相手の気持ちを思いやること、友だちに対して素直に声援を送ることができるようにしたいものです。

(20091007)

○「衣替え・更衣
 今日は10月1日「衣替え」、中学校や高等学校では、気候に合わせて制服を冬服に替える日です。「衣替え」は、平安時代から始った習慣で、当時は中国の風習にならって4月1日および10月1日に夏服と冬服を着替えると定め、これを「更衣」と言いました。しかし、天皇の着替えの役目を持つ女官の職名も「更衣」といい、後に天皇の寝所に奉仕する女官で女御に次ぐ者を指すようになったので、民間では「更衣」とは言わず「衣替え」と言うようになりました。自分も、そろそろ夏物を片付けて、冬に備えなければと思います。
 ところで、今日はたくさんの記念日があることに驚きました。「磁石の日」は、磁石が+(N極)と−(S極)から成り立つことにちなみ、そのプラス記号とマイナス記号を漢数字の十と一に見立て、10月1日に制定されました。「法の日」は、最高裁判所、検察庁、日本弁護士連合会(日弁連)の進言により法務省が1960(昭和35)年に制定。「印章の日,ハンコの日」は、全日本印章業組合連合会が制定。「土地の日」は、「十」と「一」を組み合わせると「土」の字になることから、国土庁(現在の国土交通省)が1997(平成9)年に制定。「日本酒の日」、新米で酒造りを始めるのが10月で、酒壺を表す「酉」の字は十二支の10番目、さらに「酒造年度」が10月1日から始ることから、何かと酒に関係の深いこの日を、全国酒造組合中央会が1978(昭和53)年に清酒をPRする「日本酒の日」としました。「ネクタイの日」、日本ネクタイ組合連合会が1971(昭和46)年に制定。「メガネの日」、1をメガネのつる、0をレンズとみなすとメガネの形になることから、日本眼鏡関連団体協議会が1997(平成9)年に制定。「香水の日」、フランスでは新しい香水の発売日が毎年10月1日ごろであることから、香水と化粧品の専門店・セフォラ・エーエーピー・ジャパンが2000(平成12)年に制定。「デザインの日」、デザインに対する理解を深める日として、通商産業省(現在の経済産業省)等が1990(平成2)年に制定。「際音楽の日」、バイオリン奏者のユーディ・メニューインが、国際紛争が絶えないことを憂いて提唱。1977(昭和52)年にチェコで開催された国際音楽評議会(IMC)総会において、その翌年から10月1日を「国際音楽の日」として、国際的連帯のもとに音楽の記念行事を催すことが決定されました。「コーヒーの日」、全日本コーヒー協会が1983(昭和58)年に制定しました。「赤い羽根の日」、赤い羽根共同募金運動 10月1日〜12月31日 。「国際高齢者の日」、1990(平成2)年の国連総会で制定。国際デーの一つ。「福祉用具の日」、社団法人シルバーサービス振興会・新エネルギー・産業技術総合開発機構・全国福祉用具製造事業者協議会・財団法人テクノエイド協会・日本健康福祉用具協会・社団法人日本福祉用具供給協会で構成する「福祉用具の日」創設連絡会が2001(平成13)年11月に制定。「浄化槽の日」、浄化槽の普及促進及び「浄化槽法」の周知徹底を通じて、生活水準の向上、生活環境の保全及び公衆衛生の向上を図るとともに公共用水域の水質保全に資することを目的としています。「都民の日」、東京都が1952(昭和27)年に制定。都内の公立学校が休みになり、庭園・動物園・植物園等の入場料が無料になります。 今日は、記念日の特異日なのでしょうか?!
(20091001)

○「キンモクセイ
 今週から10月に入ります。近所に「キンモクセイ」の木があって、香り始めました。キンモクセイの香りがしてくると、 秋を実感します。ふわっと香るあの匂いはたまらなく好きです。キンモクセイには、死んだ祖母がこの香りが好きだった思い出があり、また、通った小学校の庭にあって、この香りを嗅ぐとなんか懐かしい気持ちにもなります。日本には、『モクセイ前線(キンモクセイ前線)』があり、この前線は、サクラ前線が『北上』するのとは反対に、日本列島を、『南下』するようです。この辺(関東)では、10月上旬に花が咲き、四国、九州地方では10月下旬〜11月初旬に花盛りのキンモクセイを見ることが出来るそうです。
(20090926)

○「お月見
 お月見のときにお供えするものとしては、「月見だんご」があります。
 旧暦の8月15日の夜(10月3日 中秋の名月)と、同じく旧暦の9月の十三夜(10月30日)のお月見に供える団子のことをいいます。
 お供えの数は、十五夜のときには15個、十三夜のときには13個と決まっている地域もあります。また、そうでない場所もあります。
 さて、旧暦の9月の十三夜のときに、枝豆を供えるという風習があります。そのためこの十三夜を「豆名月」と呼ぶこともあります。栗を供えることもあり、「栗名月」と呼ばれることもあります。また、「中秋の名月」に里芋を供えるという習慣も一般的です。里芋は、この時期は収穫期の始めにあたりますが、この出はじめの芋を煮る、あるいは蒸してお供えします。この里芋を供える風習は、少なくとも室町時代にまで遡るものです。中秋の名月に芋を飾ることから、この名月を「芋名月」と呼ぶこともあります。
 さらに、お月見の風物詩としてよく出てくるのが、すすきです。これも、中秋の名月でお供えすることが一般に行われています。
 さて、このようにいろいろな食べ物をお供えして月を愛でるのはなぜでしょう?秋は、いろいろな作物が収穫の時期を迎えます。枝豆、里芋、そして団子の材料となるお米なども、秋が収穫のシーズンです。月は、ほぼ30日で満ち欠けを繰り返します。夜空で規則的な満ち欠けをする月は、古来から、カレンダーとして重宝されてきました。農耕ではカレンダーが重要となります。種まきや収穫の時期をいつにするか、といったときに、昔から、月の満ち欠け、あるいは月の満ち欠けを基準とした暦を頼りにしてきました。
 そういった、農耕に役立ってきた月に感謝の意を込めて、収穫された作物をお供えして感謝の意を表した、ということがそもそものお供え物の意味でしょう。「お月見」には、収穫の喜びと感謝を込めて、お供えをして月を眺めたいものです。

(2009/09/21)

○「中秋の名月2
 「中秋の名月」ですが、「仲秋」とも書きます・・・・。仲秋は、秋の三ヶ月(七・八・九月)の中の意で、陰暦八月の別称です。中秋は、陰暦八月十五日。中秋の名月は、陰暦(旧暦)で8月15日、つまり「秋の真ん中の日の月」のことを指します。従って、陰暦8月15日を示す「中秋」という言葉の方がふさわしいことになります。 仲秋という言葉は、旧暦で8月を示す言葉の1つ。もともと旧暦の月の呼び方の中に、季節の真ん中の月(春なら2月、夏なら5月、秋なら9月、冬なら11月)に「仲」をつけて呼ぶ言葉があります。例えば、「仲春」といえば2月、「仲夏」といえば5月となり、「仲冬」は11月を指します。 「名月」という言葉を「満月」と解釈すれば、「仲秋の名月」でも間違いとは言えないでしょうが、元々の「8月15日の月」という言葉からすると、やはり「仲秋の名月」よりは、「中秋の名月」の方がより正しい表現でしょう。

○「中秋の名月
 空気が澄んできて、星空が綺麗に見えます。月も輝いて見えます。
 来る、10月3日(土)は、「中秋の名月」です。中秋の名月は、別名「十五夜」というように、旧暦で8月15日の夜になります。このことからわかるように、「中秋の名月」の日は、旧暦に基づいて決まってしまいます。
 さて、旧暦8月15日の「十五夜の月見」(芋名月・中秋の名月)は10月3日ですが、旧暦9月13日の「十三夜の月見」(栗名月・豆名月)は、今年は西暦10月30日(金)です。十五夜の月見と十三夜の月見、両方やって片月見(片見月)にならないようにしたいですね。
 ちなみに、東日本の旧暦10月10日の十日夜の月見は、今年は西暦11月26日(木)です。
 月ははるか昔から、農作の守護神として世界的に崇められる傾向がありました。このようなことから、中秋の名月は農作物の実りに感謝するという意味がこめられているのでしょう。

○「彼岸花
 秋の彼岸が近づき、「彼岸花(ひがんばな)」が咲き出しました。お寺(全超寺)の近くにも、たくさん咲いています。彼岸花の名は秋の彼岸ごろから開花することに由来しますが、別の説には、これを食べた後は「彼岸(死)」しかない、というものもあります。彼岸花は、全草有毒で、食した場合は吐き気や下痢、ひどい場合には中枢神経の麻痺を起こして死にいたるそうです。彼岸花は、田を荒らす動物(モグラ、ネズミなど)がその毒を嫌って避けるように、あるいは、土葬のあと、遺体が動物に荒されるのを防ぐため人手によって植えられました。(なお、モグラは肉食のため、ヒガンバナに無縁という見解もありますが、エサのミミズがヒガンバナを嫌って土中に住まないため、この草の近くにはモグラが来ないともいいます。)
 別名の曼珠沙華(まんじゅしゃげ)は、"天上の花"という意味も持っています。異名も多く、死人花(しびとばな)地獄花(じごくばな)幽霊花(ゆうれいばな)剃刀花(かみそりばな)、狐花(きつねばな)捨子花(すてごばな)はっかけばばあと呼んで、日本では不吉であると忌み嫌われることもあり、国内でもっともたくさんの名を持つ植物と言われ知ます。
 また、韓国では彼岸花のことを「相思華」ともいう。 これは彼岸花が花と葉が同時に出ることはないから「葉は花を思い、花は葉を思う」という意味です。「相思華」とは素敵な名前ですね。

○「報恩感謝
 幼稚園の今月の徳目は、「報恩感謝(ほうおんかんしゃ)」です。「人から物をいただいたり、人から親切を受けた時、『ありがとう』の言葉を口に出して言えることが大切です。
  「感謝の心」を子どもたち一人ひとりの中でどのように育てていくか難しいことですが、素直な気持ちで『ありがとう』と言える子どもに育ってほしいものです。 また、実りの秋を迎え、自然との触れ合いの中で、多くの人たちがお互い助け合い、支え合って生きていることに気付いてほしいと思っています。また、自然の恩恵にあずかって生きていること、そのご縁を喜び尊ぶ心「恩」を受け止め、年齢相応に感じ取らせたいと思います。」
  意味を理解し、実践することがなにより大切です。「ありがとう」の実践を重ねていきたいと思います。
  今朝、農家の方よりニンジン、キャベツ、ナス、ピーマン、大根などたくさん野菜を頂きました。早朝一緒に畑に行って、自分の手で抜かせてもらいました。作物の成長に手間を加えているのは人ですが、作物を育てているのは「大地」です。人に対する感謝、自然に対する畏敬と感謝を思います。

○「野菜の日
  今日、8月31日は「や(8)さ(3)い(1)」の語呂合わせから、全国青果物商業協同組合連合会をはじめ9団体の関係組合が、栄養たっぷりな野菜を再認識してもらうとともに、野菜のPRを目的に1983(昭和58)年に制定した「野菜の日」です。

 だいこんが白いわけ
  むかしむかしは、にんじんとごぼうとだいこんは、同じ色をしておりました。  
  ある日のこと、にんじんとごぼうとだいこんが、お風呂に入ることになりました。
いちばーん!」  あわてん坊のにんじんは、一番先にお風呂に飛び込みました。  そうしたら、お風呂のあついこと、あついこと。  でも、にんじんはまっ赤な顔でがまんしながら、熱いお風呂に入りました。 それで、にんじんの色は赤くなったのです。  次に入ったのが、めんどくさがり屋のごぼうです。
熱い湯だなー」  ごぼうはあついのが嫌いなので、体も洗わずにお風呂から出て行きました。 それで、ゴボウの体は黒い色をしているのです。  最後に入ったのはだいこんです。
ちょうどいい、湯加減だ」  だいこんは最後に入ったので、熱いお風呂のお湯も、ちょうど良い温度になっていました。  気持ちの良いお風呂だったので、きれいに体を洗い、真っ白になりました。 それで、大根の体は真っ白なのです。  おしまい

○「好事不如無
   「好事不如無」(こうじも なきにしかず)。『碧巌録』という禅の語録に示してあります。「好事」とはよいこと、喜ばしいこと。「よい出来事でも、それに執着する心が起きると、煩悩や妄想のもとになる」という戒めの言葉です。 宝くじが当たった、パチンコで大儲けした。希望の学校に入学出来た、理想の人と結婚できた・・・・なんて、人生には嬉しくなる出来事がたくさんあった方がいいですね。これはごく当たり前の感覚です。「でも、そうかな?」と、待ったをかけるのが、この禅語です。「好事(よいこと)も無いにこしたことはないよ」。でも、好事があると「よかった」「嬉しかった」と、とらわれの心が起きます。そして、さらに好事が増えることを求めてしまいます。競馬で、たまたま大穴馬券を当ててやめられなくなってしまうのも、そうした執着が生じるから。すると、また好事があっても、もう小さな喜びでは満足できなくなってしまうでしょう。「もっと好いことはないか」と心がウロウロし始めると、好事が起きない人生がつまらなく思えてきます。好いことなんてありゃしない、人生くだらない・・・そんなふうに思い始めると、自分で人生を台無しにしてしまいます。  
  「どんなに好事でも、それが心にとらわれ、煩悩や妄想のもとになるなら、むしろ無い方がよい」。日常の戒めとして覚えておきたい言葉です。

(20090828)

○「雨奇晴好
 「雨奇晴好(うきせいこう)」という言葉があります。意味は「雨もまたよし、晴れればまたよし」。「奇」は、ふつうと変わっている、珍しくて面白いこと。「好」には、美しいという意味もあります。晴れても雨が降ってもどちらも趣がある、と蘇東坡(そうとうば)が中国の魯山の風景を詠んだ詩の一節です。「雨の日は気が滅入りそうになりますが、あるがままに風景を見れば、いつもと違って面白い。これに気づいて雨を楽しもうよ」。雨だからと、憂鬱になるのでなく、むしろ晴れ晴れした顔でいたいものです。カタツムリやアマガエルが顔出す雨の日を楽しむ気持ちは大切でしょう。暑い日も、寒い日もそれぞれの時を楽しみたいものです。
 ジャズのスタンダードに「Come rain or come shine降っても晴れても」はこう歌っています。「雨が降っても、晴れた日も、他の誰もが愛せなかったほど強く君を愛してみせる・・・・」。お金があったりなかったり、曇りの日や晴れの日や、いろいろあるけど、僕は君といつも一緒、幸せも不幸も一緒に・・・。
 「雨奇晴好」の「雨もまたよし、晴れればまたよし」と生きたいものです。
(20090818)

○「あたりまえ
 農家の方より、野菜をたくさん頂きました。美味しそうなトウモロコシの皮をむいてみると、虫が元気に動いていました。キャベツはむくと水がこぼれ、葉っぱには虫の食べた痕が・・・ナスやキュウリはみんな曲がっていて、一つとしてスーパーで売られているような整ったものはありません。でも、すべて瑞々しくて新鮮そのものです。これこそが本当の野菜なんだと思います。禅の言葉に、「月は青天にあり、水は瓶(へい・ビン)にあり」を想いました。月が天空にあって、水が瓶にあるという本来ありのままの姿があたりまえ、自然そのもの。野菜も美味しいからこそ、虫が寄ってくるし、曲がって出来るのがあたりまえだと思いませんか。

○「タコ
 8月8日は、「タコの日」です。タコが8本足だからでしょう。タコは生でもゆでても、炒めても、揚げても、せんべいに加工したりしても美味しい食べ物です。この時期、祭りの屋台の「タコ焼き」も美味しいものです。タコの入っていない「タコ焼き」を食べると、裏切られた気持ちになります。タコはとっても美味し食材で、日本では広く食べられていますが、ヨーロッパや中東ではデビルフィッシュ(悪魔の魚)とされ、あまり食されていないことは、モッタイないように思います。
 「タコのだしがら 」(タコの昔話し)  
  山奥のある村に、魚売りがやって来ました。村の人たちが桶をのぞくと、あたまが丸くて、八本足のものがありました。
 「これは、なんというものかね?」  
 「タコですよ。ゆでて食べると、そりゃあうまいもんだ」  
 「へえ、これがタコっちゅうもんかい。よし、買うとしよう」

 村の人たちは、さっそく、お湯をわかして、タコをゆではじめました。  タコはまもなく、まっ赤にゆであがりましたが、どうやって食べるのか、だれも知りません。  そこに、旅の男が通りかかって、  
 「その、タコのだしがらを、ごちそうしてもらえんかのう」
と、たのみました。 村の人たちは、旅の男に聞こえないように、ちょっと相談しました。  
 「タコのゆでたものを、だしがらだと言ってたぞ。つまり、タコは身を食うのでなく、だし汁を呑むにちがいない」  
 「だしがら(だしをとったあとのかす)なんか、うまくないにきまっているからな。こんなものを食ったら、せけん知らずと、思われてしまう」  
 「いくら山奥暮らしでも、タコのだしがらはいらんよ」

と、美味しいゆでダコを、まるごと、旅の男にやってしまい、村の人たちは、ゆで汁をすすりました。   ズズズーーーッ   おしまい

○「お盆
  日本社会における「お盆」の風習は、「彼岸」の風習と同様に古くからの習わしとして根付いていて正月と並ぶ国民的行事です。
  その起源は、インドの仏教行事に始まります。
  日本で「お盆」と呼んでいるこの行事は、正式には『盂蘭盆会(うらぼんえ)』(Ullambana(ウランバナ))といい、支那(中国)では、梁の大同四年(西暦538年)同泰寺で初めて修法され(この年は日本に仏教が伝来した年とされる)、そして日本では、齊明天皇の三年(西暦663年)に修法されたことから始まるといわれています。
  「お盆」の習わしは、各々の地方(地域)の風習によって多少異なりますが、一般的な(在家の)習わしとしては、基本的にはどこも同じで、先祖を迎え、食べ物を供養し、送って行くとう意味で行われています。  時期としては、旧暦7月の13日から15日(新暦に読み替えると9月1日から3日間)を「盂蘭盆会」として、仏(先祖)を13日の朝に迎え、15日の夕方に送るということなのですが、16日の夕方に送りをするという地域が多いようです。(旧暦7月を新暦の8月13日から15日に置き換えて行う地域と、東京、神奈川、山梨などのように、新暦の7月13日から15日に行う地域があります。)
  具体的な習わしとして松戸市(当寺発祥の地)の事例を参考とすれば、仏壇(又は精霊棚)に先祖の霊を迎える準備として、仏壇又は精霊壇に真菰(まこも)で織った茣蓙(ござ)を敷き、同じく真菰で編んだ縄で野菜(農家においては特にその家でとれた作物)などを纏い付けたりして、壇上には蓮の葉(蓮の葉がなかなか手に入らないので芋の葉を代用する場合がります。)に載せた供え物(茄子やトマトなどを刻んだもの)、その他、団子やご飯などその家による思いのままの飲食(おんじき)を供え、ほおずき(提灯(ちょうちん)の意味のようです。)と、みそはぎを飾り付けます。
  期間中の夕方には家の軒先か精霊棚につるされた盆提灯に火をともします。旧集落を除いては墓場が遠くにあることなどから13日の迎えには家の門口又は出口の角で、迎え火を焚き、先祖の墓参りをします。この時、真菰の幹(送り火迎え火に使うおがら)を適当な長さに切って足にして造った茄子(牛)と胡瓜(馬)を仏壇又は精霊棚に置きます。これは先祖を馬で速く迎え牛でゆっくりと送るという意味があるようです。
  そして(8月)15日(近年は16日に行う家もあります。)の夕方に送り火を焚き、盆提灯を持ち先祖を墓まで送ります。墓の前では、竹に真菰で編んだ棚(台)に飲食(おんじき)を供えつけます。(但し、近年はほとんどが火葬墓地なので墓の周りが土になっていないことからこの棚の竹をさせない事由で、省略することが多いようです。)
  この送り火の習わしが、地方によっては精霊流しであったり、京都で行われる大文字焼きです。
  なお、新盆の家にあっては7月(8月)の1日から仏(前年の盆前七七日〈49日〉以降の亡者)の迎えが始まり、仏壇とは別に精霊棚を造る家が多いようです。 この「お盆」の期間、寺(菩提寺(ぼだいじ))は、棚経(たなぎょう)に各壇家を廻ります。
(20090810)

○「釜の蓋(かまのふた)饅頭
 8月1日は「地獄の釜の蓋が開く日」と言われています。那須地方では、古くからご先祖様を迎えるための行事の一つとして、黒糖の「炭酸饅頭」を作り、下に笹の葉を敷いご先祖にてお供えし、自分たちもその饅頭を食する習慣があります。これが「かまのふた 饅頭」です。以前は、8月1日の早朝には、各家庭でお供え用と食べるものとをたくさん作っていましたが、だんだん作る家庭が少なくなりました。大田原市内の菓子店では、8月1日には必ずこの饅頭を販売しています。以前は1日の朝にお盆の先祖供養の祭壇を準備していると、近所の人が朝作った饅頭を届けてくれ、お供えし、また頂いていましたが、作って届けてくれたおばちゃんが亡くなってしまい、最近は大田原市城山の「木村や」さんの「かまのふた 饅頭」を求めています。「木村や」さんの饅頭は程よい甘さの餡でとても美味しいです。中央の「みどりや」さんや山の手の「いづみ」さんの「かまのふた 饅頭」も美味しいです。でも、この「かまのふた 饅頭」の習慣は全国的なものではないようで、この「かまのふた 饅頭」の話を他ですると、「初耳だ」「そんな習慣は無い」と言われます。しかし、この「かまのふた 饅頭」の習慣は先祖を敬い、先祖に心を傾け感謝する素晴らしい行事なので、今後もこの習慣を守り続け、さらにはこの習慣が日本中に広まればいいなと思っています。

(20090731)

○「うなぎ
 今日31日は、7月2回目の「土用の丑の日」です。そこで「うなぎのかぎ賃」という小話を紹介します。 『 ある、けちんぼうな男がおりました。毎日、毎日、ごはんどきになると、うなぎ屋の前へ出かけていっては、腹いっぱいにうなぎの匂いを吸い込み、そのまま家へとんで帰って、うなぎの匂いでごはんを食べるのでした。それに気がついた、うなぎ屋の親父は、「なんちゅうけちだ。よし、あのようなやつからは、匂いのかぎ賃を取ってやろう」 と、さっそく帳面(ちょうめん)につけておき、月末になると、匂いのかぎ賃を取りにやってまいりました。すると、けちんぼうな男。「やい、おれはうなぎ屋に、借金をしたおぼえはないぞ」「いえいえ、これはうなぎのかば焼のかぎ賃でございます。えーと、しめて八百文(一文は30円ほど)ですな。匂いをかいで食べたつもりになっておりますので、こちらも食わせたつもりで銭を取りにきました」うなぎ屋がすましていうと、男はしかたなく、ふところから八百文取り出しました。 「へい、たしかに八百文。ありがとうございました」 と、ニコニコ顔のうなぎ屋がうけとろうとしたところ、男はそれを板の間へほうりだしました。チャリーン。お金が景気のいい音をたてると、男はうなぎ屋にいいました。 「匂いの代金は、音ではらおう。それ、銭の音をきいただろう。ほんとうに銭をうけとったつもりで帰んな」この勝負、うなぎ屋の負けでございます。おしまい』

(20090731)

○「下駄の日
 今日は「下駄の日」だそうです。
 昔は、男物の下駄は7寸7分、女物の下駄は7寸2分と決まっていたので、「7月」の7は下駄の寸法から、また「22日」は下駄の歯形が漢数字の「二」とよく似ていることにちなんでいます。

 下駄の昔話 「ふしぎな宝げた
 昔、あるところに、さすけという男が、おかあさんと2人でくらしていました。
 おかあさんが重い病気になりましたが、医者にかかりたくてもお金がありません。(このままでは、おかあさんが死んでしまう。お金持ちのごんぞうおじさんに、お金をかりよう)と、さすけは出かけていきました。
 ごんぞうおじさんは、「金をかせというのか? それなら、おらの家のひろい畑を、一日でたがやすんだ」と、どなりました。さすけは早くお金をもらって、おかあさんを助けようと、がんばって、一日で畑をたがやしました。でも、ごんぞうおじさんは、「まだ金はかせん。大おけに水をいっぱい入れろ!」と、またどなりました。つぎの日、さすけは水をはこびました。ところが、おけには小さな穴があけてあって、いくらはこんでもいっぱいになりません。 「なまけ者! 金は貸せん、帰れっ!」 さすけは追い返されました。
 とぼとぼ歩いていくと、とあるお宮の前にきました。(おなかがへったなあ。もう歩けない。どうしたらいいんだろう) さすけは、うとうとと、いねむりをしてしまいました。 からーん からーん からーん からーん   ゆめの中でしょうか。 げたの音が近づいてきます。 あらわれたのは、やさしい顔のおじいさんでした。 「ははおや思いのさすけよ。一本のはのげたをさずけよう。このげたをはいてころぶと、そのたびに小判が出る。だが、ころぶたびに背が低うなる。やたらと、ころぶではないぞ」 「は、は、はい。ありがとうございます」 おじいさんのすがたは、パッと消えました。
 「ありゃ? 夢か? でも、ほんとうに、げたがあるぞ」  さすけは、おっかなびっくりげたをはいてみましたが、なにしろ一本はのげたです。 立つか立たないうちに、すってん! 「あっ、いてててえ」と、いったとたん、ちゃりーん。 「ああ、小判だ!」 さすけは大よろこびです。  その小判を持って、すぐに医者のところへいきました。 医者にみてもらったおかあさんは、みるみる元気になりました。  それで、あのげたは大事にしまって、さすけは、おかあさんといっしょに、毎日よくはたらきました。
 そこへ、ごんぞうおじさんが、さすけのようすを見にやってきました。そっとのぞくと、ごちそうを食ベています。 「やいやい。このごちそうはどうした! ごちそうを買う金があるくせに、おらのところに金をかりに来たのか!」 「まあまあ、気をしずめてください。これには深いわけが」  さすけは、あのげたの話をしました。 「なに、小判の出るげただと。こいつはいい。これは、びんぼう人のおまえたちより、金持ちのおらがもつべきだ。もらっていくぞ」  
 ごんぞうおじさんは、げたを持って帰っていきました。  家に帰ったごんぞうおじさんは、さっそく大きなふろしきを広げました。 げたをはいて、ふろしきの上にのると、 「へっヘっへ、まずは、ひところび」と、言って、すってんと、ころびました。  すると、小判がちゃりりりーん。 「おおっ! 本物の小判じゃ!」 さあ、それからというもの、 ♪ころんでころんで、小判がほい。♪ちゃりんこ、ちゃりんこ、小判がほい  ごんぞうおじさんは夢中になって、ころびました。「おおっ! 小判がだんだんでっかくなるぞ! おらよりでっかくなっていくぞ! おら、日本一の大金持ちじゃあー!」  ごんぞうおじさんは、ころぶたびに、自分が小さくなっていくことに、ぜんぜん気づいていません。  
 そのころ、さすけは、げたをはいてころぶと、背が低くなることを言いわすれたのを思い出して、あわてて、ごんぞうおじさんに会いにいきました。  家に行ってみますと、しめきった家の中で、ちゃりん、ちゃりん、と、音がします。 「おじさーん、おじさーん!」と、呼んでみましたが、へんじがありません。  さすけはとびらを力まかせにあけました。  すると、中から小判が、じゃら じゃら じゃらー、と出てきます。 「うああっ! ごんぞうおじさん。どこだあ!」  ごんぞうおじさんは、山のようにつまれた小判のすみで、ばったのように小さくなっていました。  それでも、ころんでは起き、ころんでは起きして、小判を出しています。  そのうちに、とうとう小さな虫になって、どこかへ飛んでいってしまいました。  
 その後、さすけは、ごんぞうおじさんの家をひきとって、長者さまになり、おかあさんとしあわせに暮らしましたとさ。  
よくばりすぎると、ろくなことがありませんね。   
おしまい

(20090722)

○「
 先日、知人より「卵」をたくさん頂きました。 卵は「完全栄養食品」 とも呼ばれ、人間に必要な栄養素をまんべんなく含んでいます 。 タンパク質、脂質、カルシウム、カリウム、ナトリウム、リン、鉄、亜鉛、ビタミンA、ビタミンB、ビタミンD、ビタミンE、ナイアシンと驚くほど豊富な栄養食品です 。特に 、タンパク質と脂質は豊富で、タンパク質を構成する上で重要な8つの必須アミノ酸をバランスよく含んでいます。必須アミノ酸の一種のメチオニンは、肝臓でアルコールを分解するのに必要な成分で、飲みすぎた身体にとって卵は薬になります 。また、卵黄の脂質に含まれるコリンは、体内に入ると記憶や学習に関係が深い神経伝達物質のアセチルコリンを作ります。認知症予防や改善に効果があると言われています。さらに、このコリンにはコレステロールや中性脂肪の量を適正に保つ働きもあるようで、「 卵って素晴らしい 」完全栄養食品です 。
 夏の暑さで疲れのたまるこの時期には、積極的に「卵」を食べて健康的な生活をしたいと思います。
(20090720)

○「 土用の丑(うし)の日
 19日は「土用の丑(うし)の日 」です。  
 さて、土用(どよう)とは、五行思想に基づく季節の分類の一つで、各季節の終りの約18日間のことです。五行思想では、春に木気、夏に火気、秋に金気、冬に水気を割当てている。残った土気は季節の変わり目に割当てられ、これを「土用」と呼びます。この土用の間は、土の気が盛んになるとして、動土・穴掘り等の土を犯す作業や殺生が忌まれます。ただし、土用に入る前に着工して、土用中も作業を続けることは差し支えないとされています。さて、夏の土用の時期は暑さが厳しく夏ばてをしやすい時期ですから、昔から「精の付くもの」を食べる習慣があります。土用蜆(しじみ)、土用餅、土用卵などの言葉が今も残っています。また精の付くものとしては「ウナギ」も奈良時代頃から有名だったようで、土用ウナギという風に結びついたのでしょう。
 今のように土用にウナギを食べる習慣が一般化したきっかけは、幕末の万能学者として有名な平賀源内が、夏場にウナギが売れないので何とかしたいと近所のウナギ屋に相談され、「本日、土用丑の日」 と書いた張り紙を張り出したところ、大繁盛したことがきっかけだと言われています。丑の日の「う」からこの日に「うのつくもの」を食べると病気にならないと言う迷信もあり、「ウナギ」がこれに合致した食べものであったからでしょうか。
 今年は、7月19日からの土用に立秋(8月7日)までの18日間には、丑の日が今年は19日と31日に2回あります。

(20090719)

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長栄山 全超寺 住所:〒324-0051 栃木県大田原市上石上西7 URL : hikari-k.ed.jp/zenchoji  Eメール : zenchoji@hikari-k.ed.jp
曹洞宗 長栄山 全超寺
 
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