│令和7年度│3月│2月│1月│12月│11月│10月│9月│8月│7月│6月│5月│4月│
│令和6年度│3月│2月│1月│12月│11月│10月│9月│8月│7月│6月│5月│4月│
3月5日は、暦の二十四節気のひとつ「啓蟄(けいちつ)」です。“啓”は『ひらく』、“蟄”は『土中で冬ごもりしている虫』の意で、暦便覧には「陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出ればなり」と記されています。文字通り地中で冬ごもりしていた虫が春の到来を感じ、草木が芽吹くと同時に地上へ這い出してくるという意味です。この時期、北国でも福寿草が咲き、東京では紋白蝶が見られ、春の訪れを実感できます。
『啓蟄や 蚯蚓の紅の 透きとほる』(山口青邨)
3月3日は「ひな祭り」です。ひな祭りのルーツは「上巳の節句」です。「上巳(じょうし/じょうみ)」とは3月上旬の巳の日という意味で、のちに日付が変動しないよう3月3日となりました。その起源は300年頃の古代中国で起こった「上巳節」にさかのぼります。昔から季節や物事の節目には災いをもたらす邪気が入りやすいと考えられていたため、川の水に心身の穢れ(けがれ)を流して厄を祓う行事や、杯を水に流して宴を催す「曲水の宴」などが行われていました。つまり、季節の節目の邪気祓い行事として、老若男女を問わず皆の幸福を願う行事でした。その上巳節を遣唐使が日本に伝えたといわれています。日本でも古くから「禊(みそぎ)」や「祓い」の思想、「形代(かたしろ)」という身代わり信仰があったため、それが上巳節と結びつき、上巳の節句として日本独自の文化として定着していきました。そのひとつが「流し雛」で、これは自分の体を草木やわらでこしらえた「人形(ひとがた)」で撫でて穢れを移し、それを川に流す行事が上巳節と混じりあったもので、今でもその伝統を守っている地域があります。また、曲水の宴も風雅な文化として発展していきました。やがてお馴染みの雛人形が良家の子女のある遊びから誕生します。平安時代頃から、宮中や貴族の子女の間で、紙の人形を使ったままごと遊びが盛んになり「雛遊び(ひなあそび/ひいなあそび)」といわれるようになりました。「雛」とは、大きなものを小さくする、小さなかわいいものという意味で、この遊びが上巳の節句と結びつき、人の厄を受ける男女一対の紙製立雛が誕生しました。これがいわゆる雛人形の原型です。やがて人形作りの技術が発展し立派な雛人形ができてくると、雛人形は流すもの(流し雛)から飾るものへと変化していきました。 やがて江戸幕府が五節句を制定し、3月3日の「上巳の節句」が五節句のひとつに定めると、5月5日の「端午の節句」が男の子の節句であるのに対し、3月3日は女の子の節句となり、「桃の節句」と呼ばれるようになり、娘の厄を受ける雛人形はその家の財力の象徴として華やかさを増してゆき、豪華な雛人形を雛壇に飾るようになりました。自慢の雛人形を見せ合う雛合わせや、ご馳走を持って親戚を訪ねる雛の使いが流行し、美しい雛人形を持って「雛祭り(ひな祭り)」をすることが民衆の憧れとなり、ついには等身大の雛人形まで登場し、贅沢を警戒する幕府によって人形の大きさがおよそ24センチに制限されたほどでした。次第に、「雛祭り」は我が子の幸せを願う行事として親しまれるようになりました。
明日は3月3日「ひな祭り」です。ひな祭りに「菱餅(ひしもち)」を飾りますが、この白・緑・紅の三色には、「雪・草・花」が象徴されていて「雪が溶け、草が芽生え、花が咲く」春の訪れの意味が託されているとのこと。また、他の説では、白は「清浄」、緑は「邪気をはらう薬草の色」、紅は「魔除け」の意味があり、春の成長時期に「菱餅」を飾り、幸福を願ったのでしょう。祭礼行事の中には、幸せや平和を願う思いがたくさん託されているようです。
3月になりました。旧暦の3月は「弥生(やよい)」と呼び、新暦3月の別名としても用います。弥生の由来は、草木がいよいよ生い茂る月「木草弥や生ひ月(きくさいやおひづき)」が詰まって「やよひ」となったという説が有力ですが、その名の通り3月になると、枯れた草葉も緑色に変わり、新しい息吹を感じます。3月は他に、花月(かげつ)、嘉月(かげつ)、花見月(はなみづき)、夢見月(ゆめみつき)、桜月(さくらづき)、暮春(ぼしゅん)等の別名もあり、それぞれの名前に春を感じます。
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3月5日は、暦の二十四節気のひとつ「啓蟄(けいちつ)」です。“啓”は『ひらく』、“蟄”は『土中で冬ごもりしている虫』の意で、暦便覧には「陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出ればなり」と記されています。文字通り地中で冬ごもりしていた虫が春の到来を感じ、草木が芽吹くと同時に地上へ這い出してくるという意味です。この時期、北国でも福寿草が咲き、東京では紋白蝶が見られ、春の訪れを実感できます。
『啓蟄や 蚯蚓の紅の 透きとほる』(山口青邨)
本日、ひかり幼稚園の「3月誕生会」を開催し、誕生児の保護者の方と一緒に楽しく行いました。雨も上がって、気温も上がりました。さて、今月の誕生会メニューは、「ご飯、おかず汁、チキンの味噌カツ、ブロッコリーのツナマヨ昆布和え、豆乳プリン」です。今年度最後の誕生会となりこれまで参加できなかった児も今日は保護者の方と誕生会を過ごしました。
















3月3日は「ひな祭り」です。ひな祭りのルーツは「上巳の節句」です。「上巳(じょうし/じょうみ)」とは3月上旬の巳の日という意味で、のちに日付が変動しないよう3月3日となりました。その起源は300年頃の古代中国で起こった「上巳節」にさかのぼります。昔から季節や物事の節目には災いをもたらす邪気が入りやすいと考えられていたため、川の水に心身の穢れ(けがれ)を流して厄を祓う行事や、杯を水に流して宴を催す「曲水の宴」などが行われていました。つまり、季節の節目の邪気祓い行事として、老若男女を問わず皆の幸福を願う行事でした。その上巳節を遣唐使が日本に伝えたといわれています。日本でも古くから「禊(みそぎ)」や「祓い」の思想、「形代(かたしろ)」という身代わり信仰があったため、それが上巳節と結びつき、上巳の節句として日本独自の文化として定着していきました。そのひとつが「流し雛」で、これは自分の体を草木やわらでこしらえた「人形(ひとがた)」で撫でて穢れを移し、それを川に流す行事が上巳節と混じりあったもので、今でもその伝統を守っている地域があります。また、曲水の宴も風雅な文化として発展していきました。やがてお馴染みの雛人形が良家の子女のある遊びから誕生します。平安時代頃から、宮中や貴族の子女の間で、紙の人形を使ったままごと遊びが盛んになり「雛遊び(ひなあそび/ひいなあそび)」といわれるようになりました。「雛」とは、大きなものを小さくする、小さなかわいいものという意味で、この遊びが上巳の節句と結びつき、人の厄を受ける男女一対の紙製立雛が誕生しました。これがいわゆる雛人形の原型です。やがて人形作りの技術が発展し立派な雛人形ができてくると、雛人形は流すもの(流し雛)から飾るものへと変化していきました。 やがて江戸幕府が五節句を制定し、3月3日の「上巳の節句」が五節句のひとつに定めると、5月5日の「端午の節句」が男の子の節句であるのに対し、3月3日は女の子の節句となり、「桃の節句」と呼ばれるようになり、娘の厄を受ける雛人形はその家の財力の象徴として華やかさを増してゆき、豪華な雛人形を雛壇に飾るようになりました。自慢の雛人形を見せ合う雛合わせや、ご馳走を持って親戚を訪ねる雛の使いが流行し、美しい雛人形を持って「雛祭り(ひな祭り)」をすることが民衆の憧れとなり、ついには等身大の雛人形まで登場し、贅沢を警戒する幕府によって人形の大きさがおよそ24センチに制限されたほどでした。次第に、「雛祭り」は我が子の幸せを願う行事として親しまれるようになりました。
明日は3月3日「ひな祭り」です。ひな祭りに「菱餅(ひしもち)」を飾りますが、この白・緑・紅の三色には、「雪・草・花」が象徴されていて「雪が溶け、草が芽生え、花が咲く」春の訪れの意味が託されているとのこと。また、他の説では、白は「清浄」、緑は「邪気をはらう薬草の色」、紅は「魔除け」の意味があり、春の成長時期に「菱餅」を飾り、幸福を願ったのでしょう。祭礼行事の中には、幸せや平和を願う思いがたくさん託されているようです。
3月になりました。旧暦の3月は「弥生(やよい)」と呼び、新暦3月の別名としても用います。弥生の由来は、草木がいよいよ生い茂る月「木草弥や生ひ月(きくさいやおひづき)」が詰まって「やよひ」となったという説が有力ですが、その名の通り3月になると、枯れた草葉も緑色に変わり、新しい息吹を感じます。3月は他に、花月(かげつ)、嘉月(かげつ)、花見月(はなみづき)、夢見月(ゆめみつき)、桜月(さくらづき)、暮春(ぼしゅん)等の別名もあり、それぞれの名前に春を感じます。

