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            |  | 令和2年 涅槃会 
 2月17日(月)
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                  | 2月15日は、お釈迦さまが亡くなられた「涅槃会」でした。 全超寺では、本日(2月17日)に梅花講の皆さんと、お釈迦様に敬意と感謝、そして哀悼のお勤めを修行しました。
 お釈迦さまは、今からおよそ2500年前に、インドのクシナガラで80歳の生涯を閉じられました。「亡くなられた」といわないで、「滅度(めつど)された」(入滅度)、「涅槃に入られた」(入涅槃)といいますが、これは「煩悩の火がすべて消された世界」を示します。
 お釈迦さまは涅槃に入られる前、弟子の阿難(アナン)にこう言います。
 「阿難よ。向こうの林の片隅にサーラの樹が立っているのを見るであろう。そこへ行って、私のために床をつくり、枕を北に向けて休ませてもらいたい。私はひどく疲れた。今夜半、私はそこで滅度に入るであろう」
 阿難は涙を流しながら、サーラの樹の下に行き、清らかに地を掃いて床をこしらえ、その上にお釈迦さまを休ませてあげます。ここに到着される前、お釈迦さまはパーバというところで説法されていました。パーバとクシナガラの間は、わずかの距離でしたが、移動の間25回も休まれたといいいます。どれほど疲れていたのでしょう。頭を北に、面を西に向かい、右脇を床につけて、足を重ねられます。すると、不思議なことが起こるのです。美しい楽の音がながれ、歌声が聞こえ、天の神々が近づいてきます。サーラの樹は突如、白い鶴にも似た花が咲き、花びらが雨のようにお釈迦さまの上に降りそそぎます。
 その時、お釈迦さまは阿難に言われます。
 「阿難よ。天の神々が私を供養しに来たのが見えただろうか」
 「はい、世尊。はっきり見えます」
 「このようにするのは、心から私を敬い、私に報いる道ではない」
 「では世尊。真に仏を敬い、仏に報いる道はいかなるものでありましょうか」
 「阿難よ。そして、愛する弟子たちよ。私に報いたいと思うならば、老若男女を問わず、私の説いた教えを大切にし、教えを実践してほしい。ただひとすじに教えを守りぬく者こそ、私につかえ、私を敬うものである。香や、華や、伎楽をもってするのは本当の道ではない。ひたすらに法を守り、法に生き、法のために精進するがよい。
 これこそ、こよなき供養というものである。」
 
 「法に生きる」ことこそ真の供養だととかれています。「こよなき供養」「真の供養」とは、お香や華や伎楽をもってするのではなく、「教えを実践する」ことです。お釈迦様の教えをそれぞれが実践していきましょう。
 
 
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