「隻手音声」(せきしゅおんじょう)
拍手するように両手を打つとポンと音がします。その片手だけの音声を聞けという公案です。
片手だけの音を聞けというのは常識的な思慮分別ではまったく理解できません。その意図するところはなんでしょうか。それが今回のテーマです。
「隻手の音声」の公案を創唱したのは日本の臨済宗中興の祖とされる白隠慧鶴(はくいんえかく)禅師で、白隠は江戸中期の人で禅を独創的に発展大衆化させた方と言われています。片手の音声を聞けというのは、それまで当然と思っていた思慮分別を根本から疑わせて、理屈や言葉を超えたものと対峙することで、その対峙の中から、これまでの思考や想念や感覚を払い去って、忽然として大自由を感得し、すべての迷いから解放されることにあります。白隠は、この「隻手音声」の公案は、「無」字や「本来の面目」といった公案を突きつけるよりも、はるかに効果があると述べています。この「片手だけの音」はどうすれば聞くことができるのでしょう。公案のねらいは「迷い」の根元である「分別」を断ち切ることにあります。
この公案は、まず「片手の音」という「分別」に有ります。凡夫は「物」を見るのは「眼」で、「音」を聞くのは「耳」だと思い込んでいるのです。この「思い込み」が「妄想」なのです。「手」と「音」を区別しているからです。
「手」と「音」の区別は一体何処にあるのでしょうか。では今一度自分で両手を打ってみてください。次にこんどは片手だけを打ってみてください。両手と片手を差別しなければ「音」ははっきり聞こえるはずです。 合掌

合掌
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