・・・・・・平成28年10月・・・・・・

「優波離尊者」
 「持律第一」と言われた優波離(ウパーリ)尊者のお話です。優波離尊者はインドのカーストでも下層のシュードラの出身でした。釈尊がまだ悉多(シッダルタ)といわれた太子の頃カピラ城で釈迦族のもとで、阿那律尊者の奴隷として仕えていた理髪師でしたが、主人である阿那律尊者や釈尊の実子の羅睺羅や金比羅など六人が釈尊の弟子になるということになり、その一行に付き添って行かれたのです。阿那律尊者は出家するときに所有物を全て優波離尊者に与えましたが、優波離尊者は釈尊の教えの方が偉大だと言ってそれを断り、自ら出家を切望したのです。主人である阿那律尊者が釈尊に「世尊よ、願わくば理髪師優波離を本日受戒の最初としてください」と申し出て、釈尊は優波離尊者を最初の受戒者とされたのです。
 釈尊は、「出家以前において身分の違い、地位の高低など種々あるが、出家後はすべてその差別はない」と常に述べられていました。仏教教団(サンガ)ではすべての者は平等でしたが、ただ一つ序列がありました。それは出家順位です。身分や年齢に関係なく先に出家した者が先輩であり兄弟子になるのです。その儀礼に従い阿那律達尊者も優波離尊者に礼拝したのです。これを見て釈尊は「釈迦族の高慢な心をよくぞ打ち破った」と賛嘆せられたとのこと。「本来人間に階級などない」という当時としては革命的な釈尊の教えが示された事例の一つです。
 優波離尊者が「持律第一」と言われたのは戒律に精通しそれをよく守ったからです。サンガでの修行は厳しいものでした。とくに釈迦族から集団で出家した阿那律尊者や羅睺羅尊者達、貴族出身者にとってサンガでの質素貧窮の生活はさぞ大変なことだったでしょう。その点奴隷出身であった優波離尊者は、体は丈夫で貧しい暮らしにもよく慣れていたので、きつい修行や厳しい戒律も案外容易なものでした。それに加え優波離尊者はたいへん律儀な性格の持ち主であり戒律に精通し、よく守ったことから、後に阿羅漢果(悟り)を得て、「持律第一」と称せられるようになりました。釈迦サンガにおける規律は、優波離尊者によって設けられたものが多く、釈迦入滅後、仏典のための第1回の結集では、優波離尊者は戒律の編纂の責任者として活躍したのです。

合掌


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