・・・・・・平成27年8月・・・・・・

自利利他じりりた

 少し難しい言葉ですが、「自障障他(じしょうしょうた)」という言葉があります。「自障」とは、自分が傷つくこと、「障他」とは、他人を傷つけることですが、今日、格差社会などと言われ、勝ち組・負け組などと、他人を蹴落として、自分だけが勝ち進んでいこうと躍起になっています。いじめや差別も同様です。他人を差別し、見下して、それで自分が優位に立ち、勝ったつもりでいるのかも知れませんが、決してそうではないのです。他人を蹴落とし、他人を傷つけていることは、それがそのまま、自分の値打ちを下げ、自分自身をも傷つけているのです。それが「自障障他」という言葉の意味です。
 この「自障障他」に対して「自利利他」という理念を仏教では大切にします。「自利」というのは自分が幸せになるということであり、「利他」というのは他者にも幸せになってもらうということです。自分の幸せ(自らの喜び)が、他人の幸せ(他の喜び)にもつながり、他人の幸せ(他の喜び)が、自分の幸せ(自らの喜び)にもなるということで、「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない。」(宮澤賢治)という世界です。
 この教えは、「なるほど」と思う反面、現実問題となると、非常に難しいものをかかえています。何故なら、私たちは自分の幸せ(自利・自らの喜び)を得るために努力することができても、それを後回しにし、他人の幸せ(利他・他者の喜び)のために努力するといことが苦手なものです。ましてや、他人の幸せが、必ずしも直接的に自分の幸せにつながると思えなければなおさらです。そこには、自分が一番可愛いという、「自我」の思いがあります。しかし、他人のことはほっておいて、自分の幸せのみを追求すればどうでしょうか。じつに、ギスギスとした、争いごとの絶えない凄惨な社会となります。私たちは、そんな社会を決して求めていません。それ故に、自然と、「おもてなし」「おもいやり」「おかげさま」等の言葉に、何か、懐かしさや、安らぎを感じ、心がひかれるのではないでしょうか。大切なことは、「自分」「他人」という「自我」の壁を可能な限り低くし、『少しでも相手の心を知ることができる』ように努めることでしょう。
 7月の法話にも記しましたが、「盂蘭盆会」の供養の意義は「自利利他」に通じます。人として最も大切なことは他者への感謝と報恩です。「自利利他」の心を皆が持ち、実践することで平和で豊かな世界が現成することでしょう。

合掌


来月も予定しています。光泰九拝
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