・・・・・・平成25年8月・・・・・・
乾屎橛(かんしけつ)」
 無門禅師が著した『無門関(むもんかん)』という禅の書物の「雲門屎橛(うんもんしけつ)」(第二十一則)に、こう記されています。
 雲門和尚に対してある僧が問いかけます。
 「如何なるか是れ仏
と。雲門は答えて
 「乾屎橛(かんしけつ)」。
 雲門は、仏とは一体何でしょうかという問いに対して、一言「乾屎橛」と答えるのですが、乾屎橛とは排泄後にお尻を拭く尻拭き棒のことです。当時は紙が貴重でしたので、木のヘラを用いて、用便後に木のヘラで拭いたのです。中国では、今でも奥地に行くと、トイレにこの尻拭き棒があって、これで用を足しています。
 さて、仏とは何かという問いの答えが、「尻拭き棒」とは一体どのような意味でしょうか、書物の作者・無門禅師は、こう評しています。
無門曰く、「雲門謂うべし、家貧にして素食(そじき)を弁じ難し。事忙しうして書を草することに及ばず。動(やや)もすれば、すなわち屎?をもち来たって門をささえ、戸をささう。仏法の興衰見つべし。」 
 仏とはと問われても、自分は貧乏していて、美味いものをご馳走するようなきれいな答えを出すことはできないし、また、忙しいので文章を著して、書いて伝えることもできない。そんなもんをありがたがっても救われやしないだろう。この答えを果たしてどう理解するのか、ひどい言葉と解釈するか、妙語と解釈するかに、仏教の興隆と衰退がかかっているのだ、と言っているのです。さらにその後に、次のようなことを言っています。雲門は僧の問いの本質を一瞬に見抜き、この者に講義し議論するよりも、たった一言「乾屎橛」と伝えて、答えを見出す大きなヒントを与えているのです。
 答えを与えることより、手掛かりを与えることで、期が熟すれば、自ずから本当の答えを導き出せることでしょう。解る時期が来れば解るのです。本当に解るには、本人の努力次第です。

合掌


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