「歩歩是道場」
新年を迎え、それぞれ心新たにしていることと思います。
さて、ある時、落ち着いて心静かに修行を行える場所を探していた一人の修行僧が維摩居士(ゆいまこじ)と出合います。
修行僧は維摩居士に向かって、「あなたはどこから来たのでしょうか?」と聞くと、「道場から来たのだ」と答えました。
「では、その道場はどこにあるのでしょうか?」と尋ねると、維摩居士は「直心(じきしん)是道場(これどうじょう)」と即答したそうです。
「直心是道場」とは、「まっすぐ素直な心を持っていれば、どこでもどんなところでも道場、すなわち修業の場である」ということです。
修行の場所はそれぞれの心の中にあるのだから、どこだろうと関係ないのです。
修業は道場だけでするものではありません。日々の暮らしの中のたち振る舞いすべてが道場であり修業の場なのです。
自分の行うことの、一歩一歩が修行なのですから、志があれば、どこであろうとも自分を高められる修行の道場なのです。
雑念を払い、無心に打ち込めば、どんな条件にあっても自分を磨くことが出来るはずです。
そのためには、日々の暮らしの足下をしっかりと見つめ顧みることが大切です。遠くばかり見ていて、足下がおろそかになっていないでしょうか。
今、置かれている立場、今の仕事、今の人間関係、今の家庭、そんなにつまらないものでしょうか?
今の自分に満足できないでしょうか?
先の方にいいことがあると思い違いしていないでしょうか?
目の前や足下をちゃんと見もしないで、遠くばかり探しまわっても無駄です。
禅では、日常のすべてが修行であり、日常の中や身近な足下にこそ真理があると考えます。
毎日の生活の中でも、日々の喜びはすぐ足下にあるのに、それに目を向けず大切にしないから、手に入るはずの幸福を逃がしているのかもしれません。
日々の暮らしの足下をこそ照らし、見つめるべきだと教えています。
合掌
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