・・・・・・平成20年5月・・・・・・
進一歩

  お釈迦さまは、釈迦族の王子として、妻や子にも恵まれ、なに不自由ない生活を送っていましたが、29歳の時、それらを総て捨て、城を出て出家しました。一度しかない自分の人生をどう生きるか、悩み苦しみ、そして出した結論です。

  禅のことばに、「百丈の竿頭(かんとう)すべからく歩を進むべし」とあります。百丈は約30メートル、その高さの竿の先にしがみついてる手を放し、一歩進みだすことです。
  30メートルほどの竿の先とは、はかない人生のことです。生まれてきて30年あるいは40年の経験を大事に大事に守って生きています。そこにしがみつき、頼みとして生きています。その竿の先から空中に一歩を踏み出すのです。たかだか3,40年の人生を捨てて、新たに進むのです。30メートルの不安定で不確実な処にしがみついて、命を失うことを恐れている自分に気づいたお釈迦さまは、一歩を進めたのです。王子としての生活が安定と思っていたが、実は不安定な生き方であった、本当の自分を活かす生き方でないことに気づいて、「一歩を進め」たのでした。
  道元禅師は、「百丈の竿頭に上って、足を放たば死ぬべしと思うて、つよくとりつく心のあるなり」と示されています。30メートルほどの竿の先から飛び降りたら死んでしまうだろうという恐れだけで、満足できない日常にしがみついているのではないかと、反省しなければならないという教えです。
  道元禅師も、13歳で比叡山に登り、出家しました。さらに、そこでの修行に満足ぜず、命を懸けて海を渡り中国で修j行されました。生活していると、だんだん足もとが温まってきます。安定しているような気持ちになります。しかし、本当にこれでよいのだろうか、現状でベストなのだろうかと、省みることも必要でしょう。

  聞いた話です。20年以上も前のことですが、タイの国境にサケオ難民キャンプがありました。そこに西憲治(にしけんじ)さんという人がボランティアをしていました。ある時、強盗に襲われて亡くなりました。難民の為に集めた援助金を狙われてしまったのです。彼は、元は陶芸家を目是してひたすら土をこね、炉の炎に向かっていました。ある日、炉の中の真っ赤に燃えて炎を吹いている陶器を見るのです。土でさえも炎を放って燃えているのに、自分はそれほど燃えて生きていただろうかと、そこで全てをなげうってタイの難民キャンプにやって来たのでした。

  「脚下を見よ」と言い、「自分を照らせ」と言いますが、本当の自分を顧みれない中で、本物になりきれていない。ただ、もがき苦しみながら生きているのがほとんどの人生だと思います。自分もその一人であるように感じます。西さんの話は、「足を離せば死んでしまうかもしれないという恐怖で、日常にしがみついていてはいけない」と語りかけてくれています。

合掌


来月も予定しています。光泰九拝
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