・・・・・・ 平成十八年 十二月 (師走) ・・・・・・

  一年の締めくくりの月を迎えます。
  私は思うのですが、日本人には「時が過ぎ去る」という感覚と、「時が巡る」という二つの感覚があると思うのです。それは四季の移ろいのなかで行事を行い、過去に行われ、未来にも続くであろう春・夏・秋・冬の慣習の中で生活が形成されてきたからだと思います。巡り来る時間の中で少しづつ変化しながら時を重ね、人生を過しているのだと感じています。 
  師走の文字の如く、歳の瀬は何か気ぜわしいが、同時に充実した一年となるよう改めて足下を見つめ日送りをしたいものです。

  さて先日、幼稚園の子供たちのサッカー大会を観戦しました。
  一つのボールに向かって集中し格闘し、全力で走り回る姿は心地よく、清々しい興奮を覚えました。後日、練習風景を見学に参りました際、道元禅師のお言葉を思い出しました。

  「証の得否(とくひ)は、修せんものおのづからしらんこと、用水の人の、冷暖をみづからわきまふるがごとし」(『正法眼蔵』弁道話)

  これは「冷暖自知」(冷たい暖かいは、自からのみ知る)というお示しで、はたして水が冷たいのか暖かいのかは、他人に説明されるより自分自身で触ってみればすぐに解るという意味です。
  「百聞は一見に如かず」ということわざもありますが、自分自身で経験しなければ、本質を知ることは出来ません。ボールを強く蹴る技術は、コーチが口で説明するより実際蹴ってみれば、体得できるのです。知識をいくら与えても、自分自身の体験がなければ本当の知恵は備わってきません。言葉や文字で学習してもボールを蹴る技術は具わりません。何度も何度もボールを蹴ってやがて上手に蹴れるようになるのです。教室で泳ぎ方を学んでも泳げるようにはなりません。泳ぎは水中で泳いでみなければ泳げるようにはならないのです。

  解るということは、人に聞いたり教わったり頭で学ぶのではなく、自分の体験を通して解るのです。「まずはやってみる」「あれこれ考えるより自分でやってみる」以外に理解する術は無いのです。
  子供たちにどんどんボールを蹴らせて、それを励まし温かく見守る指導者の姿に学びました。 

                      合掌

1月も予定しています。                    光泰九拝
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